2011年11月28日月曜日

ワールドカップバレー

中・高と,バレーをしていた関係で,ワールドカップにはまっている。といっても,サッカーではない。バレーだ。高身長化,パワーバレーという荒波を受け,日本男子はなかなか勝てない状況が続いていたが,昨日・今日と勝利をつかむ事ができた。なかなか勝てないので,タイムをとるたびに,他のチャンネルに変えてはまたバレーを見て,また変えてはまた見てと,以前バレーをしていたとは思えないような横着な見方をしている。ただ,昨日,初勝利をつかんだ。その会見で,セッターの宇佐美が,「心が折れそうになったが,そうした思いをがまんしてがんばった。」と言った。その言葉が,ぐっと心に突き刺さった。あきらめてはいけない,一歩一歩でも前進する事で,道が開ける。宇佐美の言葉を聞いて,そんな気がした。スポーツを見て,久しぶりに,元気が出た,涙も出た,そしてなによりうれしかった。今日も中国に3−0で勝利した。男子バレーは,女子に比べると,日が当たる事が少ないが,そんな中でも地道にがんばっている姿が,心をぐいぐい揺さぶってくれる。日本!日本!日本!男子バレー,がんばれ!

2011年11月23日水曜日

人は,可能性に富んでいる。

先日,カレーを作った。今時,カレーだったら,小学生の調理実習でもするぐらい簡単な料理だが,私の記憶の中では初めてである。息子たちがほとんどしたので,正確に言うと少し作ったが正しいのであるが,とにかく作るには作った。カレーを作った時,「自分で作れるんだ。」という,達成感を感じた。この達成感は,最近にないものだ。仕事の中でも多少は達成感を味わえる事もあるが,日々慌ただしく働いているので,味わう事なくつぎの課題へと取りかかっている。しかし,料理は,目標は作る事である。その点,分かりやすい。味は,まだまだだったものの,それなりのものができた事で満足だった。冷凍食品に始まり,トンカツ,唐揚げ,焼きそば,カレーライスといろいろな料理に取り組んできた。この経験から思う事は,人は可能性に富んでいるという事だ。目標を立て,少し努力する事で,いろいろなことができるようになる。これまでは,できないことを反省する事が多かったが,これからはできる事を増やす事で,より明るく行動していきたいと思う。さて,カレーライスまで来たので,次はいよいよパン作りに挑戦しようと思っている。

2011年11月19日土曜日

文明化は,吉か凶か01

私たちは,今,文明社会の恩恵を受けている。退屈している時はテレビを見て,洗濯をする時は洗濯機を使う。水が飲みたい時は,水道の栓を開けばいいし,近くのコンビニに行くと,美味しいジュースがたくさん並んでいる。物質的には,今の世の中は,豊かである。この事は,疑う余地はない。しかし,精神的に豊かなのだろうか?この事に関しては,少し頭をかしげる事もある。例えば,昔,米の収穫をする時には,地域の人たちが寄り集まって,作業をした。その中から,地域のコミュニティーが深まっていった。祭りはそのいい例だし,年中行事で近所の家との触れ合いもあった。それが,今,メディアというものに置き換わろうとしている。私たちは,近くにある人と触れ合わずに,どこか遠くにいる芸人の芸を見て笑ったり,俳優が演じているドラマを見て感動したりしている。確かに,それらのものは,私たちの近くにあるものより遥かに刺激的で,楽しませてくれる。しかし,それは,あくまでもメディアという架空の世界の中の事である。現実には,その人たちは近くにいないし,触れ合う事もできない。それは,コンピュータの中の仮想現実化された生活に限りなく似ている。刺激的すぎる故に,近くにある大切なものを忘れ去ってしまう。昔,ばあちゃんの年の祝いをするといって,木から枝を切って,そこに紅白の餅を飾った思い出がある。ばあちゃんがどう思っていたかは分からないが,少なくとも子供の私たちは楽しかった。また,母や親戚のおばさんたちは,朝早くからお祝いの準備をしていた。しかし,現代社会では,そうした想いはあるものの,薄れてきている気がしてならない。これからは,地域コミュニティーを再確認し,人を大事にする社会を作っていかなければならないと思う。

2011年11月13日日曜日

ばあちゃんのおかし

昔,母の親戚の家に,ばあちゃんがいた。そのばあちゃんのいる家にいつも遊びにいくと,台の上に菓子入れがおいてあった。丸い漆器製の菓子入れで,何処にでもあるものだった。その菓子入れには,いつも入っているお菓子があった。小さいバナナの形をしているお菓子で,食べると程よく甘みが利いていて,意外に美味しかった。私は,そのお菓子が好きで,ばあちゃんの家に行くと,いつもばあちゃん食べていいと聞いた,気のいいばあちゃんは,いつも二つ返事で,いいよと答えてくれた。今考えると,ばあちゃんのおやつだったのに悪かったなと思う。最近,そのお菓子が食べたくなり,あちこちのスーパーに行って探すのだが,見かけなくなった。1年ほど前,市内にあるA・Zで,たまたま見つけた。久しぶりに食べると,懐かしいと感じるとともに,昔の記憶がよみがえってきた。これは,いい所を見つけたと思っていたら,半年もしないうちに店頭から無くなっていた。それから,またそのお菓子が食べられなくなった。たくさんの種類のお菓子が販売されているので,消えていくお菓子が無くなっていくのは,致し方がないのかもしれない。先日,近くにあるハピネスというスーパーで買い物をしていたら,偶然にもそのお菓子が売っていた。その時は,所持金が少なく買う事ができなかったが,お金がある時に行って,少し買いだめておきたいなと思った。

2011年11月6日日曜日

やがて既存のメディアはなくなる!

新しいメディアが作られると,以前のメディアは衰退していく。レコードに始まり,カセットテープ,CD,ビデオ,レーザーディスク,DVD,Blue Rayと変遷してきた既存のメディアは,これからネットによるダウンロードという販売形態に変わっていくと思う。一つには,メディアに左右されないからである。これまでは,ビデオもDVDも同じタイトルのものを持っていたという人がいると思う。つまり,再生メディアに依存していたのである。それが,ダウンロード販売では,そうしたメディア依存が存在しない。二つ目は,再生環境の自由度である。以前は,DVDプレーヤやオーディオプレーヤのある所でした聞けなかったのだが,smartphoneやtabletの登場によって,それらの機種を持っていれば,どんな場所でも聞く事ができる。さらに,ダウンロードのすばらしい所は,保管場所に困らないところである。メディアの数が少ないときはさほど場所をとらないが,多くなっていくにつれて保管場所に困ってくる。初めは,小さなラックだったものが,カラーボックスに,そして本格的な本棚と保管場所がだんだん大きくなっていく。ダウンドードの場合は,基本的にダウンロードした機種に保存されるので,そうした棚が必要なくなる。他にも,ダウンロード販売の利点はたくさんある。携帯電話の中では,もうそれが現実となっているが,私たちの通常の生活にもダウンロード販売という形が主流となる時代がもうそこまで近づいてきている。