2014年9月30日火曜日

iPhone6は買いか?

巷では,iPhone6の話題で事欠かない。3GS,4,5と歴代のiPhoneを使ってきた私にとっても,iPhone6の登場は 気になるニュースである。しかし,私自身の盛り上がりとしては,これまでのと比べると半減している。なぜなら,画面サイズ,処理能力が向上しているのものの,それ以外はあまり変化がないからである。一番の問題は,NFC(近距離無線通信:お財布携帯)が搭載されたもののApple独自の仕様であり,現在日本では使用できないことである。私なんぞは田舎に住んでいるので構わないが,都会に住んでいる人達は,この機能があるかないかで,便利さが大分違ってくると思われる。また,以前もブログに書いたが,itunesに対して日本市場は閉鎖的で,公開されている映画は限定的だし,テレビドラマに関しては皆無である。itunesが登場して10年程経過しているのに,そのコンテンツは貧弱というしかない。簡単に言うと,いろんなメディアを閲覧するためにiPhoneを買ったはいいが,ほしいコンテンツがないという状況にあるのである。当然,これはiPhone6でも例外ではない。加えて,来年度より,法律でsimフリーが義務づけられるそうだ。そうなると,simカードを変えるだけでキャリアを変更することができる。現在,格安simも各社から発売されていて,最低の物は1000円で携帯が持てる時代になっている。docomo,au,softbankと現在は3大キャリアであるが,来年以降はこれが群雄割拠状態になる。つまり,戦国時代と同様に,3大キャリアとはいえ,安穏とはしていられない時代に突入する。そうなると,現在の機種代0円なんていう商品は,必然として消えていくと思われる。価格,性能,デザイン等,トータルで消費者は携帯を購入することになる。スマホの中では,比較的コストが高いiPhoneは,コスト競争に巻き込まれて,消えていくかもしれない。史上最高の売り上げと詠われているiPhone6だが, 落日の日に向けてカウントダウンが始まっている。

2014年9月27日土曜日

沖縄旅行03

沖縄旅行も3日目。7時に朝食をとり,息子たちのたっての希望だった中部にあるアメリカ村に行った。朝が早かったため,アメリカ村に付いたのは,店が開店する前だった。店が開くまで,近くのイオンで待つことにした。30分程待つと,全店ではないが,ちらほら店が開き始めた。アメリカ村とは,アメリカで製造された製品や軍の払い下げ品などが売っている店が集まっている場所だった。店の中に入ると,ジーパンやTシャツ,軍服など,アメリカ製品が所狭しという具合に並んでいた。さながら,アメリカにいるような感じがした。早速,息子たちは,そこでTシャツやズボンなどを買っていた。私も自分に合う物はないか探したが,体が大きいため,これといった物を探すことはできなかった。そうこうするうちに,昼になったので,イオンで昼食をとった。午後からは,土産を買うグループと,買い物をするグループで分かれて行動することになった。私たち家族と姉,父と母が国際通りに,妹達は那覇新都心にあるショッピングモールに行くことになった。妹達夫婦は,徳之島にいるため,こういう機会でないと買い物ができないからだ。それで,私たちは,国際通りに向かった。国際通りは,思っていたより近く,30分程で到着した。車を降り,通りを歩いていると,20年前とは随分様変わりしていた。20年前は,いろいろな種類の店が並んでいて,その中に土産屋がぽつんぽつんとあったが,今は通りのほとんどが土産屋になっていた。まあ,お土産を買いに来た私にとっては好都合だったのだが,あまりにもの変わり様にびっくりさせられた。土産屋がたくさん並んでいるので,どれがいいか迷っていたが,姉から御菓子御殿という最近何かの賞を取った店があるというので,その店で買うことにした。ネーミングバリューに弱いのは,何とも致しかたがない・・・。 通りを少し歩いていると,向かいにその店が見つかった。店は,屋根が赤瓦で葺かれ,壁には沖縄風の装飾が施された,その名の通り御菓子の御殿のようだった。道を渡って店内に入ると,いろいろな種類のお土産が売っていた。サツマイモの加工を中心にした御菓子がメインで,私はサツマイモを網でこして加工した物を2つ買った。 土産を買うと,当初の目的が達成できたので,手持ち無沙汰となってしまった。それで,近くにあったリウボウに入った。リウボウは,デパートで,ブランド物の洋服や本,小物など色々な物が売っていた。中には入ったものの,父や母,姉の好みにあった物がなかったらしく,30分ほどすると店を出た。時計を見ると3時30分だった。飛行機の時間は7時30分だったので,あと4時間もあったのだが,初日のレンタカーの失敗がここで尾を引き,時間がとても気になった。それで,ホテルに引き返し,父や母,姉,妹夫婦と時間も早々に別れの挨拶をした。そして,レンタカーを返しに行った。レンタカーを返す場所は,初日と同じだったので,大体分かっていた。それでも道を間違えてしまい,同じ所を何度か回ってなんとかレンタカーを返すことができた。不思議なことに,レンタカーを返した場所は,大きな免税店になっていて,色々なブランド物の商品が置いてあった。中国人がたくさん来ていて,店内のあちこちで中国語が飛び交っていた。グッチやアルマーニ等,普段目にしたことがない商品が並んでいたので,目を奪われてしまった。しかし,ここでも時間が気になってしかたがなかった。心配性な性格が,こんな所でも災いとなってしまった。それで,ブランド品が気になりながらも,早々に店を出て,モノレールに乗った。沖縄でモノレールに乗ったは,初めてである。モノレールは,路線は一本しかなく,空港行きに乗ったら確実に付けるのに,本当に付くのだろうかとか,時間は大丈夫かとか変に気になった。 初日の失敗がここまで尾を引くのかと,我ながら自分の性格を疑ってしまった。結局,付いたのは午後5時程で,出発時間までに相当時間が余ってしまった。妻や息子は,空港にある土産屋を見て回っていたが,私は安心したのか体がどっと疲れ,ずっとベンチに座っていた。7時になると,搭乗口に行き,ようやく飛行機乗ることができた。こうして,3日間の沖縄旅行は終わった。それは,まるで夢のようで,私たち家族にとってはとてもいい貴重な体験だった。沖縄旅行は,今年の夏のいい思い出となった。


2014年9月23日火曜日

沖縄旅行02

2日目,朝起きると, 周りの世界が変わっている感じがした。朝食は,バイキングで,ご飯,味噌汁,ハム,ベーコン,サラダ等々,いろいろな食材が並んでいた。その中から好きな物を選んでいった。いつもとは異なる場所,そして豪華な食事,何のことは無いいつもの日常なのだが,幸せな気持ちになった。食事をした後は,支度を終え,最初の目的地の 平和記念資料館に向かった。平和記念資料館は,那覇と同じ南部にあるため,30〜40分程で到着した。そこには, 赤瓦作りの大きな建物があった。その中に,沖縄戦での様子が展示してあった。平和記念資料館は,父のたつての希望であった。昭和11年生まれの父は,小学校の時に戦争を体験している。そのため,戦争に対してひときわ関心が高いのだ。建物の中に入ると,展示物を見ていった。中は,時代ごとに並べられていて,展示物を見ていくと時代の変遷が分かるという工夫がなされていた。その中には,目を背けたくなる物も含まれていた。所詮,人も動物。人間の持つ残忍性が垣間見えたような気がした。展示物を見て,建物を出ると,昼をまわっていたので食事を取ることにした。食事は,同じ南部にあるcafeやぶさちで取ることにした。そこは,人家もまばらなへんぴな所だったが,どこから情報を得たのか観光客がたくさん来ていた。そのため,食事をするにも1時間程待たなければならなかった。手持ち無沙汰で店の周りを歩いていると,海が一望できる処があった。その店は,崖の上に立っていて,そこから見える景色は,まさに絶景だった。「なるほど,ここが人気なのは,この景色にもあるのだな。」と一人で勝手に考想像して喜んでいた。しばらくすると,順番がきたので,食事をするために店に入った。私は,スパゲティを注文した。味もよく,マリンブルーの海を見ての食事は,リゾート気分を満喫するのに充分だった。息子は,オムライスを食べたのだが,「これまで食べた中で一番美味しかった。」と豪語する程だった。食事を終え,一服した所で,次の目的地沖縄ワールドへと向かった。そこには,琉球舞踊を見せてくれる所と玉泉洞という鍾乳洞があった。食事に時間がかかったためか,沖縄ワールドについた時間は,午後3時半をとうにまわっていた。琉球舞踊ショーの時間が差し迫っていたため, それから見ることにした。ベンチに座って待っていると,いよいよショーが始まった。最初,6〜7人の踊り手が出てきて,エイサーを踊った。女性の中に,男性が一人。知っている人もいるかもしれないが,普通エイサーは男性が踊る踊りである。当初,この構成に,いささか面食らってしまった。当初は,この程度かと感じた程である。しかし,踊り手の一生懸命踊る様を見ていると,その気迫と熱気にだんだん圧倒されてきた。ひたむきに踊る様を見ていると,なんだか涙がこぼれてきた。 と同時に,この程度かと思った自分が恥ずかしくなってきた。美ら海水族館,cafeやぶさち,沖縄には素晴らしい自然があるが,それにも負けて劣らない人の力を感じさせてもらった。その後,時間も差し迫ってきたので,玉泉洞に行くことにした。鍾乳洞の中に入ると,少しひんやりとしていた。いろいろな形の鍾乳石があり,代表的な物には名前がつけられていた。しかし,せっかくの自然の産物に人が勝手に名前をつけたので,何だか違和感を感じてしまった。途中,川が流れている所や鍾乳石が歩道にまで張り出している所もあり,それはそれで楽しかった。また,すぐに歩き終わると思っていた道は,想像以上に長く,鍾乳洞を満喫するには充分であった。結局,鍾乳洞を出る頃には,閉園時間も差しかかった頃であった。日も少し傾きかけてきたということで,ホテルへの帰路につくことにした。こうして沖縄旅行2日目が終わった。

2014年9月20日土曜日

沖縄旅行01

8月23日〜25日にかけて,沖縄旅行に行った。今回は,家族だけでなく,父や母,姉,妹家族も一緒だった。旅行に行こうと連絡が来たのは,5月だった。それから,飛行機のチケット,レンタカー,ホテルの予約などをすると,最低でも18万かかる計算になった。今時18万だったら,結構いいテレビが買えるし,パソコンだって最高性能の物が買える。どうしようか迷ったが,家族のいい思い出になるということで,結局参加することにした。当初,私は,大学が沖縄だったので,土地勘は大丈夫だろうと高を括っていたのだが,後にそれが災いとなってしまった。飛行機に乗り,那覇空港に付いた。そこからレンタカーを借りることになっていたので,レンタカー会社の人を探した。私は,会社の人が到着ロビーで待っているのかと想像していたのだが,現実は全く違って,到着ロビーには係の人はいなかった。それで,レンタカーの車が着く,シャトルバスの停車場を探した。しかし,地図で確認していなかったので,当初逆方向に歩いていった。途中で,これはちがうなと考え,方向を変え停車場を探した。すると,人が500人は並んでいる行列があった。まさか,ここではないだろうと思っていたら,なんとそこだった。沖縄では,観光客のほとんどがレンタカーで移動するらしく,そこには相当な人が並んでいた。シャトルバスは,何度も往復していたが,何百人も人がいるので,さばききれず,バスに乗るまでに30分程待たされた。それから,レンタカー会社に行くのだが,空港の近くにレンタカー会社はあるのに,遠回りをしているのかなかなか到着しない。結局,20〜30分程して,ようやくレンタカー会社についた。そこにも,100人程の人がいた。8月も下旬というのに,こんなにたくさんの人がいるとは,いささか閉口させられた。結局,飛行機を降り,レンタカーを借りるまでに,1時間以上かかってしまった。レンタカーを借りた後は,ホテルに行く予定だったが,すでに午後1時を回っていたので,当初の予定である美ら海水族館に直行することにした。しかし,大学時代にオートバイで通ったであろう道は,記憶の中からすっかり消えており,走ってすぐに迷子になってしまった。これではと,カーナビに頼る顛末に・・・。カーナビの案内で,ようやく高速道路に入ることができた。しかし,1〜2時間程で付く予定だったが,途中昼食をとったこともあり,美ら海水族館に着いたのは,午後も大分遅くなって4時頃になった。それから,水族館の中を見て回った。パンプレットでも有名な大水槽の前には,たくさんの人が集まっていて,その大きさにびっくりしていた。私たち家族も,他の人達と同じく,水槽の中のジンベイザメやエイの群れに圧倒され,ぽかんと口を開けて眺めていた。水族館を出ると,せっかく沖縄に来たということで,ビーチに行くことにした。ビーチまでは,徒歩で10分程だった。不思議なことに,ビーチにはほとんど人がなく,私たち家族を含め10人程だった。5時ぐらいだったが,遮る物がほとんどなかったため,相当に熱かった。その熱さに負け,写真を2,3枚とると,ビーチを早々に退散した。それから,宿泊場所であるホテルに向かって出発した。時間は,5時を少し回っていた。父や母と会う予定が7時だったので急いだのだが,名護市に入ってから,渋滞に巻き込まれてしまった。空いていれば,30分程の所を,40〜50分もかけて高速に入った。高速に入ってからも,意外に時間がかかり,結局那覇に着いたのが,7時30分程になってしまった。8時にレンタカーを返す予定だったので,家族をホテルで下ろし,ガソリンスタンドを探した。運が悪いことに,ガソリンスタンドは現在地から少し離れており,そこに行くまでに時間がかかった。これは間に合わないのかもしれないと思い,レンタカー会社に電話をした。レンタカー会社の人は,8時には自動的にシャッターが下りる仕組みになっているので,それまでは持ってきてくださいというそっけない返事だった。それで,スタンドまで車を飛ばし,ガソリンを入れると,のこりは5分を切っていた。それから,レンタカー会社を探すのだが,ナビに入力した住所とは少し違っていて,探しても探しても見つからない。結局,レンタカーを返す場所を見つけたのは,30分程たってからだった。とうにシャッターは閉まっており,その日レンタカーは返せずじまいに終わってしまった。レンタカーは,ホテルの近くの駐車場に停めることになった。なんだかんだで,結局他の家族と合流したのは,9時を随分まわってからだった。食事をしたり,ボーリングをする予定だったが,それもできず迷惑をかけてしまった。こうして,沖縄旅行は,初日からハプニング続きであった。