2014年12月29日月曜日

終戦後の話

先日,徳之島に帰省した。両親に顔を会わせると,選挙,親戚,戦争のこと,いろいろな話を聞かせてもらった。「事実は,小説より奇なり」という言葉があるが,両親の話を聞いていると,なるほどそうなのかもなあと思える節もある。今年も,いろいろな話を聞かせてもらったが,中でも面白かったのは,戦時中の話である。昭和11年生まれの父は,帰省するたびに戦時中の話を聞かせてくれる。昭和20年,日本は終戦を迎えたわけだが,徳之島を含め,奄美群島はアメリカに占領された。終戦直後,戦火の調査の為,平土野にもアメリカ軍がやってきた。その当時,平土野は護岸されておらず,20mほどの砂浜があったらしい。そこに,アメリカ軍は,LSTと呼ばれていた水陸上陸艇で上陸した。そして,その中から,ブルドーザーやトラックが現れた。車も珍しいその当時,ブルドーザーやトラックが現れたのを見て,島の人は目を丸くしたそうだ。しかし,砂地なため,ブルードーザーはさておき,トラックは走らないだろうと思い,私の祖父たちはそこに畳を何枚かひいて上陸しやすいようにしたのだが,アメリカの軍人はそんなものはいらないといったそうだ。島の人たちは,いくらアメリカのトラックでも砂地に足を取られると思って見ていると,トラックの前方にはウインチが付いており,それを先に上陸させたブルトーザーにワイヤーを伸ばして引っ掛け,ウインチで巻き上げながら砂地を移動したそうだ。それを見て,島の人は,またびっくりしたということだった。そして,こんな技術を持っていたアメリカと戦争をしたことを後悔したそうだ。また,戦時中使われていた武器や弾薬は平土野に集められ,先程の水陸上陸艇に積まれ沖合まで運ばれ,そこで海中に投棄されたそうだ。ある雨が降り続いた日,アメリカのトラックが坂道で立ち往生していた。アクセルをふかして登ろうとするが,タイヤが空回りして登れないでいた。そこで,アメリカ兵が車から降り,スコップでタイヤの周りを掘り始めたが,島は赤土なのでスコップに土がつき,なかなか作業が進まなかったらしい。そこに,私の祖父が農作業帰りに通りかかり,トラックが立ち往生しているのを見て,持っていた三又で土を掘ると,三又に土がこびりつかないのでびっくりしていたらしい。それから,アメリカの兵士は祖父から三又を借り,なんとか傾いているトラックを水平にすることができたそうだ。しかし,トラックにはたくさんの兵士が載っていて,チューインガムを噛んだりしていたのだが,その間その兵士たちはトラックを降りることもなかったそうだ。私の祖父が,あの人たちは上官なのかと聞くと,上官は土を掘っていた方で,トラックの荷台に乗っていた人たちは下級兵士ということだった。なんでも,上官の方が給料が高いので,こうした場合には上官が対応することを聞いたそうだ。その後,このトラックも,ブルートーザーに引っ張られて坂道を登ることができたそうだが,トラブルに上官が対応しているアメリカ兵の話を聞いて,また驚かされたと言っていた。