2019年7月28日日曜日

イジュンについて思う

島の幹線道路を走っていると,集落が海側を走っている所と,少し陸側に入り組んでいる所があることに気づく。亀津や平土野など,ほとんどの集落は,海に面しているが,徳和瀬や天城などの集落は,海から少し離れたところにある。「なぜだろう。」と考えてみると,それは水に由来しているのではないかと思った。人の生活には,水が必要である。飲み水,食事,農耕,すべて水が深く関わっている。それで,水源の近くに集落が形成されたのだろう。徳和瀬には,大きな池があるし,天城には,イジュンと言われている湧き水があちこちにある。イジュンは,人々の命をつなぐ物として,古くから大切に使われてきた。飲み水,食事として使われるのはもちろん,そこは子供たちの遊び場でもあった。父の話を聞くと,昔はそこで泳いだり,タナガ(川エビ)などを取って遊んでいたという。また,子供たちだけでなく,青年たちもそこで泳いだり,体を洗ったりしていたということだった。イジュンは,命をつなぐだけでなく,コミュニケーションをはかる場であったと言える。では,現在ではどうかというと,イジュンや川の周りは,草が生い茂り,人が近づけないようになっている。水道が発達し人々が使用しなくなったことで,イジュンはその役目を終えようとしている。しかし,台風等で断水したとき,このイジュンが使えるのではないかと思う。台風の通過すると,川の水が増水し,そのたびに水が濁ってしまう。湧き水は,地層によって水が濾過されて湧き出しているので,そうしたことにもならない。また,人々のコミュニケーションを図る場としても,活用できるのではないかと思う。水辺で集い,遊んだり,語らったりすることで,リラックス効果が期待できる。それは,島を離れ,再度島に転勤してきた者だからそう感じるのかもしれない。イジュンの大切さに触れ,再度その価値を見直すべく,その周りを整備していかなければならないなと思う。

2019年7月6日土曜日

経験は,正しい方向に導くとは限らない02!

この前,経験は正しい方向へ導くとは限らないと書いたが,今回は自分の反省を書こうと思う。私は,職場で緑化係をしている。特に,花が好きだというわけではないが,理科専科をしている関係で,その付録として付いてくる。当然,花を育てることになるのだが,その数が半端ない。現職場では,500個程であるが,以前働いていた所では,その倍は育てていた。その中で,プランター作りという作業がある。プランターと言えば,その中に土を入れて,苗を育てるのが定石である。しかし,近年プランターの中に,ビニールポットを4つくらい置き,そこに苗を植えるというのが主流になりつつある。他の人に,「重いので,ポットにした方がいいと思うよ。」と言われたが,土は多いほど苗の成長がいいし,なにより土の方が見栄えがいい。それで,これまでの直接土を入れる方法で作っていった。ここで,自分の経験が,足を引っ張ることになる。しかし,徳之島は台風銀座である。昨年も,たくさんの台風が島を通り過ぎていった。その度に,プランターを建物の中に避難させないといけない。ここで,重さが問題になる。土をそのまま入れたプランターは,水を含むと10kgほどになる(不思議なことに,ポットに分けて入れると,1/3程になる)。それを100近く運ぶとなると,相当な負担となる。建物に入れては出す作業を,台風が来るたびに出すことになる。私だけがしているのであれば問題はないのであるが,
他の人達に手伝ってもらわなければならないので,重さが増した分,負担が増えることになる。転機は,「重いので,ポットに入れて。」と強く指摘されたことからである。それで,やむなくポットに入れる方向に切り替えた。しぶしぶ変えることになったのだが,作業をすすめると,運ぶ手間が軽減され,結果的には楽になった。それで,これからはこの方法にすることにした。このことから,経験は正しい方向に導くとは限らないと実感することになった。