2018年12月8日土曜日

移り変わる日々は日常の羅列に過ぎない

若い頃,テレビや新聞,俗に言うメディアという物の情報は,私にとってとても新鮮なものであった。しかし,51才を今となっては,そうしたメディアから伝えられる情報は,変化がないと感じるようになった。春には桜の話題が出るし,夏には最高気温が何度になったとか,台風の話題が大半を占める。そして,冬になると,最低気温が何度になったとか,どこどこに雪が降ったとか・・・。また,芸能関係では,誰々が交際しているとか,離婚したとか・・・。事件に関しても,毎回同じ内容のことが繰り返されている。若い自分だと,「もう,そうした季節なんだ。」とか,「この2人が結婚したんだ。」とか,そうした情報に一つ一つ心を動かされていたが,今となっては,昨年も同じことを言っていたとか,前も同じことがあったとか思うようになった。それだけ,自分が歳をとったのだと思う。また,歳をとったことによって,変化したことがもう一つある。それは,以前は広く世界に向いていた目線が,身近な物へと移ってきたことだ。海や川,水源地,そして自分が生まれたルーツ・・・,そうしたことを考えることが多くなった。先日,昔1度見たことのある水源地はどこだろうかと,近所を散歩して見た。しかし,そこは周囲をコンクリートで固められた上に,ポンプの組み上げ式になっていて,コンクリートの中に水はあるものの,あとは無味乾燥したものになっていた。他にはないかと探して見たら,そこは草で覆われていて,何も見ることはできなかった。小さき頃の鮮やかだった思い出は,見事に覆されてしまい,残念な思いだけが残った。

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