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2018年5月26日土曜日

ああ引っ越し,されど引っ越し!

3月,仕事の関係で徳之島に引っ越すことになった。これまでにも,何度か引っ越しの経験はしているが,今回は最悪だった。業者への連絡,荷造り,不用品の始末等,やる事は色々あった。前回の引っ越しから12年 経っているので,その間たまりにたまった不用品がどっさりあった。家とクリーンセンターの間を何度も往復し,その作業だけでも相当体力を使ってしまった。あらかた運び終わると,息子たちの机をどうするか迷った。思い出が詰まった物なので,1つだけでも持っていきたいと思った。色々と考えた結果,引っ越しの日に,リサイクル業者にきてもらうことにした。というのも,コンテナに乗らない場合は,業者に引き取ってもらえばいいと思ったからである。我ながら,中々いいアイデアだなと思っていた。そう,引っ越し当日までは・・・。4月2日,いよいよ引っ越しの日となった。しかし,トラックが家の近くまで来た時,道路に設置されていた鉄板が,トラックの重みに耐えきれず脱輪してしまい,仲間のトラックが来るのを待つことになった。結局1〜2時間ほどして,やっとアパートの前までたどり着いた。その後,婚礼ダンス玄関から出そうと試みるも,サイズが大きすぎて失敗。30分ほど格闘した末,垣根の上に持ち上げ,運び出すことにした。しかし,垣根は人の高さほどの木が生えており,婚礼ダンスなのでとても重く,大人6人でも四苦八苦して運び出した(その際,家具に木の幹が当たり,3cm程の穴が空いてしまった)。その後は順調に進み,なんとかコンテナ1台に収めることができた。ただ,息子たちの机は載せられなかった。ほどなくして,リサイクル業者がやって来た。これで全てが終わると思っていたら,業者の人が,「この机は,痛んでいますね。残念ながら回収できません。」と言った。その日家を出ることになっていたので,「それは,困ります。お金を出すので,リサイクルセンターまで運んでくれませんか。」と頼むも,「それは,業務以外の仕事なのでできません。」と頑なに主張。結局,リサイクル業者の人はそのまま帰ってしまった。今後の予定が大きくずれ,どうしようか考えていたところ,息子が何でも屋というのがあったというのを思い出し,そこに電話することにした。すると,当日にも関わらず,30分ほどで来てくれた。余計に経費はかかったものの,何とか机を処分することができ一安心した。今回の引っ越しを経験して分かったことは,引っ越しでは予定とは異なることが起きるということと,問題が起きても何とかなるということだった。しかし,しばらくは引っ越しはこりごりである。

2017年10月1日日曜日

徳之島帰省

先週,連休を使って徳之島に帰省した。本来なら,8月3日に帰省するはずであったが,自主研修会が3,4日と二日入ってしまい5日に変更した。すると,8月の定番である台風が接近,どうなるのかなと思っていたら,なんと前日に欠航のメールが・・・。それで,仕方なく8月後半に変更した。その日は,特別な予定はないはずだったが,午後からの会議に出席してほしいという要望があり,これまた変更。そして,今回の10月の帰省となった。実は,帰省の日も台風接近があり,前日まで欠航の恐れもあった。それで,何の準備もせず眠ってしまった。しかし,台風接近は少し遅くなるという予報もあり,午前の便は飛ぶということであった。その日は,朝起きるのも遅く,30分で準備をして空港に向かった。空港は,夏休みほど混んでいないものの,3連休ということで朝7時にもかかわらず比較的混んでいた。その理由は,手荷物検査であった。比較的時間があるときには,それほどそわそわしないのであるが,その日は出発まで30分で,心の中は気が気ではなかった。10分ぐらいだったろうか,ようやく手荷物検査が終わり,チェックインすることができた。そして,飛行機に乗り,徳之島に向かった。飛行場に着くと,父と母が待っていた。毎年,帰省しているのだが,両親の顔を見るとなんだか安心した。それから,荷物を車に積み,実家へと向かった。家に着くと,両親と色々なことを話した。自分の現況,家族の様子,そして両親のことや親戚のこと,年を取ってきたせいか両親の話は同じ話が繰り返されることが多い(私自身そうなのかもしれない)が,たまに違う話を聞くことがある。中には,親戚のことを聞く機会があるのであるが,それは小説のような現実とは考えらえない話だったりする。そうした話を聞くと,人としての悲しさや生き方を考えさせられてしまう。話は少し変わるが,NHKに,ファミリーヒストリーという番組があるのをご存知だろうか,その番組は自分の祖先をたどっていき,その人たちがどのような人だったかを探っていく番組なのだが,最近私自身どんなルーツで生まれたのか,そしてどのような親族構成になっているか知りたいなと感じることがある。次からは,帰省した際に,そうしたこともまとめていきたいと思う。また,両親同様,島に住んでいる兄弟とその家族も来てくれる。共働きで忙しい中にも来てくれるので,本当にありがたい。さらに,今回は,東京にいる姉も帰省した(台風の影響で1日遅れたが)。先日東京で会ったばかりだったので共通の話題もあり,特に話が盛り上がった。2泊3日の日程であったが,家族で話をしたり,家の掃除をしたりして,あっという間に時は過ぎていった。そのうち,飛行機に乗る時間になったので,荷支度をし,空港に向かった。そこでも,両親,兄弟とその家族が見送りに来ていくれた。ありがたいと思う反面,次の日のことを考えると申し訳ないなという気持ちだった。最後に記念写真を撮り,飛行機に乗り込んだ。2泊3日,しかも台風の中なの強行軍だったにもかかわらず,やはり帰省してよかったなと思った。

2017年9月1日金曜日

おら,東京さ行くだ 04

東京,4日目。その日は,最終日だった。ということもあり,妻は,朝から早く起きて,掃除をしたり,洗濯をしたりして,忙しそうに動いていた。息子と私は,これまでの疲れもあり,家でずっとゴロゴロしていた。そこに,この前Amazonで注文した物干し竿が届いた。ベランダには,丸い物干しがあるのだが,物干し竿がなかったために,斜めに掛けられていた。これで,通常通り,干すことができるようになった。一つの懸案が解決したので,なんだか嬉しい気持ちになった。昼前になると,帰途につくために家を出た。途中,近くにある渋谷に寄った。そこは,若者の街で,色々ファッションをしている人達がいた。昼食時間だったこともあり,息子のお気に入りのスパゲティ屋に入った。東京は総じてそうなのか,ここの店員もあまり愛想がよくなかった。席に着くと,スパゲティとピザを注文した。干しトマトを使っているのか,味はとても美味しかった。味と愛想は,相反するものかもしれない。それから,近くにあるヒカリエというデパートに行った。新しいデパートで,色々な商品が売っていた。妻が,雑貨屋が見たいと言ったので,雑貨を中心に見て言った。すると,鏡が何枚か置いてある店があり,鹿児島では見たことのない商品が置いてあった。買おうと思ったが,値段が4000円程,1度は素通りした。しかし,「東京に来て,何も買ってない。」ということを,ブツブツと言っていたので,結局後戻りして買うことにした。その後,空港に行く時間になったので,そこで息子と別れたのだが,改札に行くと券売機がない,結局息子を再度呼び戻して,券売機のあるところに案内してもらい券を買った。そして,今度は本当にそこで別れることになった。途中,電車をモノレールに乗り換えて,なんとか空港に着いた。しかし,その時点で時間が迫っていることに気づいた。係員が,「7:10の山口行き登場のお客様,間も無く搭乗手続きを締め切ります。」と叫んでいた。私たちの乗る飛行機は,25分である。あと,15分しかなかった。慌てて,搭乗手続きをして,お土産を買って,飛行機に乗った。帰りはギリギリだったので慌ただしかったのだが,息子に会えた事,部屋などの様子も見ることができて,とても充実した旅行となった。もしかすると,飛行機は擬似的などこでもドアなのかもしれない。

おら,東京さ行くだ 03

東京生活,3日目。その日は,埼玉に住んでいる姉とスカイツリーに行く計画を立てていた。東京と言えば,スカイツリーというぐらい,最近では東京の観光コースになっている。その日は,息子が一緒いたので,電車の乗り換えは恐ろしいほどうまく行った。1時間程で,スカイツリーに到着した。スカイツリーの名前のごとく,塔は空に向かって突っ立っていた。記念にと写真を撮ろうとしたのだが,あまりにもの高さに,上の部分が切れてしまった。納得できなかったが,カメラが悪いということにした。「スカイツリーは混むので,朝早い方がいい。」という姉の助言が良かったのか,比較的スムーズに展望台に登ることができた。もちろん,エレベーターではあるが・・・。展望台からの景色は,ミニチュアを見ているようだった。鉄道模型にジオラマというのがあるが,まさにそんな感じだった。ビルは,マッチ箱で,車はミニカーのようだった。また,遠くまで景色が見渡すことができ,まさに絶景だった。記念にと,そこでも写真を撮ったのだが,外と室内の光の強さが異なっていて,街の様子はなんとか写ったが,肝心の人物が真っ黒になってしまった。ここでも,カメラが悪いことにすることにした。次に,スカイツリーからほど近い浅草に行くことにした。浅草の前は,人でごった返していた。日本人はもちろん,中国人,韓国人,アメリカ人等々,あちこちから色々な言葉が聞こえて来た。浅草は,中央にある道を挟んで出店が延々と並んでいた。人形焼や雷おこし,浮世絵等,様々なものが売っていた。中には,欲しいものもあったのだが,ここでもドローンの散財が効いて,何も買えなかった。しばらく歩いてくと,テレビでよくみかける線香が焚かれているところがあった。良くなってほしいと思うところに煙をかけるといいと言われていて,特に頭を中心にかけて見た。近くに女の人がいたのだが,顔に何度も何度も煙をかけていた。よほど綺麗になりたいのだろうと思った。それから,お寺で祈願して浅草を離れた。途中,姉が,「義兄さんがいるので,家に寄って帰って。」と言ったので,姉の家に行くことにした。駅に着くと,義兄が車で迎えに来てくれた。家に入ると,ビールが出て来た。私たち家族にあったことが嬉しかったらしく,姉家族のことや自分の息子のこと,そして私自身のこと等,話がとても弾んだ。1時間ほどの滞在の予定だったが,話が弾んだ頃もあり,帰りは10時ごろになってしまった。しかし,久しぶりに姉夫婦,その子どもたちと話すことができ,とてもいい時間が過ごせた。兄弟の大切さを改めて感じることができた。こうして,東京3日は,終わった。





2017年8月30日水曜日

おら,東京さ行くだ! 02

25日,東京2日目。今日の予定は,銀座であった。駅で切符を買って,電車に乗ろうとして近くにいる人に聞くと,ここではないと告げられた。それで,来た道を引き返して別のホームに行った。そこにいたお婆さんに聞いたのだが,自分たちが思っていたルートとは違っていた。しかし,電車が来たら,お婆さんが手招きして私たちを呼んでいる。話を聞いていて,無視をするのもなんだかなと思い,その電車に乗ることにした。電車を降りると,先ほどのお婆さんに礼を言い別れた。さて,ここからが問題である。当初の計画と異なったので,携帯で検索した。すると,東京メトロ有楽町線に乗ると,銀座に着くことがわかった。そうこうしているうちに,電車がすぐにきたので,早速それに乗ることにした。それから,1時間ほどすると,新富町駅(googleが示していた。)に到着した。電車を降り,駅から出ると,また行き方がわからない。googleで検索しても,進んでいる方向がぐるぐる変化して,本当に正しいのか分からない。またもや,あちこち間違いながらも,1時間程かかって銀座に着いた。この時点で,ヘトヘト状態である。当初,妻が行きたかったのは,スターバックスのアジアファースト店だったのだが,最近できたスターバックスに入ることにした。妻が不満爆発だったのは言うまでもない。しかし,店の雰囲気はとてもよく,落ち着いた感じだった。コーヒーを飲もうと2階に行くと,たくさんの人がパソコンをしていた。SNSをしている人もいたが,プログラムのコードを組んだり,3Dの設計をしている人もいて,ここでも東京を感じてしまった。コーヒーを飲み終わって店の外に出ると,アップルストアや三越を見つけた。それで,それぞれに行きたい場所に行くことにした。アップルストアには,多くの外国人がいて,店内がごった返していた。昼頃になると,息子が学校からやって来た。レンガ屋と言う店に入ったが,閉店前(午後2時なのに・・・。)ということで,無愛想だった。メニューを見てまたびっくり,ほとんどが2000円近くであった。しかも,ご飯は別である。高いなと感じたが,出てきたカツレツは草履のような大きさで,この大きさなら仕方ないと感じた。味は,ザ・カツレツと言う味だった。それから,息子が働いている代官山にあるボンマルシェという店に行った。ちょうど,店長さんがいたので,挨拶をすることにした。互いに初対面だったので何だか気恥ずかしい感じがした。ただ,感じのいい店長さんだったので,とても安心した。それから,近くに芦屋書店というスタバと本屋が合体したところがあるといので,そこに行くことにした。そこは,芝生が綺麗に刈り込んである曲がりくねった道になっていて,その中におしゃれな店が点々と並んでいた。芦屋書店は,その一番奥にあった。その頃になると,私と息子は,疲れていて,椅子にずっと座って飲み物を飲んでいた。妻はというと,とても元気で,近くにある本を取りに行っては,ずっと読み続けていた。7時〜8時ごろになった頃,ようやく家に帰ることにした。この頃になると,三人とも疲れていたので,夜は近くのスーパーで惣菜を買って食べることにした。こうして,東京2日目は,あっさりと終わってしまった。

おら,東京さ行くだ! 01

7月24日,東京に向かった。7時30分の飛行機に乗り,1時間半程のフライトで東京に到着した。鹿児島空港も夏休み中なので,それなりに混雑していたが,東京は別格であった。それは,まるでドラえもんのどこでもドアの様な感じがした。たくさんの人達,それが忙しく活動していた。荷物を受け取り,例の如く(と行っても,私自身初めて出会ったのだが・・・。)東京モノレールに乗った。それから,山手線に乗り換え,息子が通っている学校のある高田馬場へ向かった。電車の乗り継ぎは,久しぶりだったので,乗り口や運賃を確認したりして,やっと目的地に着いた。飛行機を降りたのは,10時程だったが,高田馬場についたのは12時前だった。それから,ESP専門学校を探すのだが,なかなか見つからない。携帯は持っていたのだが,今自分がどこに進んでいるかさえも分からないのだ。右へ進んだり,左へ進んだり,元の場所に戻ったりして,なんとか学校を探し出すことができた。鞄やベースを持ちながらの移動だったので,この時点でヘトヘトになってしまった。息子に電話すると,テスト中ということだったので,近くのガストで待つことにした。午後2時ごろになると,息子がやってきた。食事をあまりしていないのか頬が少しこけていたが,元気そうでなりよりだった。三人で食事を終えると,写真撮影があるということで,また学校へ帰って行った。私たちはというと,鍵を受け取り,息子の住んでいる部屋に向かうことになった。電車は比較的スムーズに乗れたが,降り口からの道が分からず,前に進んだり,戻ったり・・・。自分は地図を見ながらここだよと呼びかけているのに,妻は息子に電話しているのか先に進んでいった。なんか,信用されてない感じがして,イライラしてしまった。結局,妻が選んだ方向が正しくて,駅から10分ほどの道を30分ぐらいあたふたしてピルを見るけることができた。ただ,部屋は5階にあり,エレーベータはないので,疲れた体にハッパをかけて,やっと部屋に入ることができた。部屋に着いた時はヘトヘトで,クーラーをつけてそのままぐっすり眠ってしまった。1時間ほどすると,息子帰ってきた。午後7時ごろになると,夕食をとるために,近くの商店街に向かった。そこに,LEDの照明で飾られている洒落た店があったので,そこで食事をとることにした。鳥のトマト煮を頼んだと思うが,都会の味がした。また,店の入り口には,コーギー犬がいて,息子がいたく気に入ったようであった。店主は,それを察してか,首輪を外して,息子に持たせてくれた。こうして,東京1日目は,散々な状態で始まった。


2017年8月20日日曜日

ドローンは,やはり予算外だった!

来週,息子がいる東京に行く。そのために,旅行バッグを買った。1万円のものもあったのだが,デザインが自分好みだったことと,店員の強力な勧めもあって,2万5000円もするものを買ってしまった。レシートにサインをする時,これから一生使い続けて行くものだからと,自分の気持ちを納めさせることにした。それから,航空券は,自分の分はマイルで買ったのでタダだったのだが,妻のが3万5000円程。食事代は1日1人2000円だとすると,3泊4日なので,少なく見積もっても6万,電車・タクシー等の交通費が1〜2万,それから,東京スカイツリーなど施設を利用するとなると2〜3万,お土産代等が1万だとすると,トータル18円程かかることになる。ちなみに,これは最低ラインである。さて,今手持ちのお金は,30万円ほどあるが,それが半分以下になることになる。ここに来て,先月買ったドローンが乗っかってくる。また,来月には,次男の学費がやってくる。つまり,現時点で手持ち資金が赤になるのが確定してしまった。れからの支払いのことを考えると,気が遠くなる。これからは,ジュース1本買うのもよく考えて買わないと,とんでもないことになりそうである。

2015年12月30日水曜日

福岡旅行

姪の結婚式で,福岡までドライブした。若い時分は,1年に1度程行っていたのだが,年を取るごとにドライブする労力と気力が減ってきて,行く回数がめっきり減ってきた。前回行ったのは,5年以上前だったと思う。朝,4時半に起き,荷物を詰めるのは妻に任せ,私は以前剪定をした木の枝を紐でまとめていった。何年も手入れをしていなかったので量が多く,1時間程かかってしまった。結局,家を出たのは,6時20分前になってしまった。妹と溝辺SAで待ち合わせをしていたので,そこで合流して目的地である福岡に向かった。鹿児島から福岡に向かうには,トンネルを何本も通らなければならない。私は,このトンネル群のことを,トンネル街道と勝手に名付けている。このトンネル街道を通らなければならないのが,福岡へのドライブを阻んでいる。トンネル内は,道幅が狭いだけでなく,明かりが暗いので,とても神経を使う。高速走行なので,少しでもハンドル操作を誤ると,即事故へとつながる。今回もこのトンネル街道を通ったのであるが,以前よりはよくなったものの,やはり神経がすり減ってしまった。このトンネル街道を過ぎ,八代に入ると,そこからは平坦な土地が続いているので,後は比較的楽に運転できた。途中,宮原SAと基山SA?(確か,そうだったと思うが・・・。)によって休憩した。結局,目的地の福岡に着いたのは11時頃になったので,4時間30分のドライブになった。その日泊まるホテルに着いたときには,長時間のドライブでどっと疲れてしまった。

2015年9月21日月曜日

宮崎,イオン,なぜか航空機!

先日,所用があり,宮崎に行った。国分からだと2時間以上かかると思ったが,1時間30分程度で着いた。意外に早く着いたので,少しびっくりしたほどだ。ついでなので,宮崎にあるイオンに行った。以前1度訪れたことがあるが,その時ほどの衝撃はなかった。しかし,相変わらずの大きさだった。イオンは,郊外型の店舗であるために,建物自体が低く,広い敷地面積を生かして,店舗が異様に長くなっている。歩くのが嫌いな私にとって,イオンはあまり歓迎されない造りだ。まあ,そこで店をぶらぶらと見ていったのだが,端の方に本屋があった。元来,本(どちらかといえば雑誌)が好きな私は,例に漏れずその中に入った。そして,パソコン,カメラ等,いろいろな雑誌を見ていった。いろいろある雑誌の中で,ふとAIRLINEという雑誌が目に入った。徳之島に帰省する際飛行機を利用するため,最近たまにこの雑誌を読む機会が多い。国産旅客機のMRJのことが冒頭に書かれていた。YS-11以来の国産飛行機ということで,期待が高まっているようだった。その中に,各航空会社が所有する機体が掲載されていた。最近の主力機は,Boeing777であること,これからはAirbus350 xwbという機体が主力になること等,いろいろ面白いことが書かれていた。それではということで,わが徳之島に飛んでいる航空機はというと,Bombardier社製のDHC-8 Q400という飛行機であった。Bombardierという会社は,カナダの会社で,中小型機からビジネスジェットまで製作している会社である。さらに調べていくと,この航空機は機体が古くなってきたために,フランスとイタリアの合弁会社のATR42という飛行機に代替していくことが書かれていた。徳之島に帰省するという事象から,航空会社のこと,航空機のこと,これからの流れなどについて知ることができて,とても面白かった。あれっ,冒頭は確か宮崎のことだったのになあ。まあ,それも私なりなのかもしれない。

参考資料
Airbus350 xwb
DHC-8 Q400
ATR42

2014年9月27日土曜日

沖縄旅行03

沖縄旅行も3日目。7時に朝食をとり,息子たちのたっての希望だった中部にあるアメリカ村に行った。朝が早かったため,アメリカ村に付いたのは,店が開店する前だった。店が開くまで,近くのイオンで待つことにした。30分程待つと,全店ではないが,ちらほら店が開き始めた。アメリカ村とは,アメリカで製造された製品や軍の払い下げ品などが売っている店が集まっている場所だった。店の中に入ると,ジーパンやTシャツ,軍服など,アメリカ製品が所狭しという具合に並んでいた。さながら,アメリカにいるような感じがした。早速,息子たちは,そこでTシャツやズボンなどを買っていた。私も自分に合う物はないか探したが,体が大きいため,これといった物を探すことはできなかった。そうこうするうちに,昼になったので,イオンで昼食をとった。午後からは,土産を買うグループと,買い物をするグループで分かれて行動することになった。私たち家族と姉,父と母が国際通りに,妹達は那覇新都心にあるショッピングモールに行くことになった。妹達夫婦は,徳之島にいるため,こういう機会でないと買い物ができないからだ。それで,私たちは,国際通りに向かった。国際通りは,思っていたより近く,30分程で到着した。車を降り,通りを歩いていると,20年前とは随分様変わりしていた。20年前は,いろいろな種類の店が並んでいて,その中に土産屋がぽつんぽつんとあったが,今は通りのほとんどが土産屋になっていた。まあ,お土産を買いに来た私にとっては好都合だったのだが,あまりにもの変わり様にびっくりさせられた。土産屋がたくさん並んでいるので,どれがいいか迷っていたが,姉から御菓子御殿という最近何かの賞を取った店があるというので,その店で買うことにした。ネーミングバリューに弱いのは,何とも致しかたがない・・・。 通りを少し歩いていると,向かいにその店が見つかった。店は,屋根が赤瓦で葺かれ,壁には沖縄風の装飾が施された,その名の通り御菓子の御殿のようだった。道を渡って店内に入ると,いろいろな種類のお土産が売っていた。サツマイモの加工を中心にした御菓子がメインで,私はサツマイモを網でこして加工した物を2つ買った。 土産を買うと,当初の目的が達成できたので,手持ち無沙汰となってしまった。それで,近くにあったリウボウに入った。リウボウは,デパートで,ブランド物の洋服や本,小物など色々な物が売っていた。中には入ったものの,父や母,姉の好みにあった物がなかったらしく,30分ほどすると店を出た。時計を見ると3時30分だった。飛行機の時間は7時30分だったので,あと4時間もあったのだが,初日のレンタカーの失敗がここで尾を引き,時間がとても気になった。それで,ホテルに引き返し,父や母,姉,妹夫婦と時間も早々に別れの挨拶をした。そして,レンタカーを返しに行った。レンタカーを返す場所は,初日と同じだったので,大体分かっていた。それでも道を間違えてしまい,同じ所を何度か回ってなんとかレンタカーを返すことができた。不思議なことに,レンタカーを返した場所は,大きな免税店になっていて,色々なブランド物の商品が置いてあった。中国人がたくさん来ていて,店内のあちこちで中国語が飛び交っていた。グッチやアルマーニ等,普段目にしたことがない商品が並んでいたので,目を奪われてしまった。しかし,ここでも時間が気になってしかたがなかった。心配性な性格が,こんな所でも災いとなってしまった。それで,ブランド品が気になりながらも,早々に店を出て,モノレールに乗った。沖縄でモノレールに乗ったは,初めてである。モノレールは,路線は一本しかなく,空港行きに乗ったら確実に付けるのに,本当に付くのだろうかとか,時間は大丈夫かとか変に気になった。 初日の失敗がここまで尾を引くのかと,我ながら自分の性格を疑ってしまった。結局,付いたのは午後5時程で,出発時間までに相当時間が余ってしまった。妻や息子は,空港にある土産屋を見て回っていたが,私は安心したのか体がどっと疲れ,ずっとベンチに座っていた。7時になると,搭乗口に行き,ようやく飛行機乗ることができた。こうして,3日間の沖縄旅行は終わった。それは,まるで夢のようで,私たち家族にとってはとてもいい貴重な体験だった。沖縄旅行は,今年の夏のいい思い出となった。


2014年9月23日火曜日

沖縄旅行02

2日目,朝起きると, 周りの世界が変わっている感じがした。朝食は,バイキングで,ご飯,味噌汁,ハム,ベーコン,サラダ等々,いろいろな食材が並んでいた。その中から好きな物を選んでいった。いつもとは異なる場所,そして豪華な食事,何のことは無いいつもの日常なのだが,幸せな気持ちになった。食事をした後は,支度を終え,最初の目的地の 平和記念資料館に向かった。平和記念資料館は,那覇と同じ南部にあるため,30〜40分程で到着した。そこには, 赤瓦作りの大きな建物があった。その中に,沖縄戦での様子が展示してあった。平和記念資料館は,父のたつての希望であった。昭和11年生まれの父は,小学校の時に戦争を体験している。そのため,戦争に対してひときわ関心が高いのだ。建物の中に入ると,展示物を見ていった。中は,時代ごとに並べられていて,展示物を見ていくと時代の変遷が分かるという工夫がなされていた。その中には,目を背けたくなる物も含まれていた。所詮,人も動物。人間の持つ残忍性が垣間見えたような気がした。展示物を見て,建物を出ると,昼をまわっていたので食事を取ることにした。食事は,同じ南部にあるcafeやぶさちで取ることにした。そこは,人家もまばらなへんぴな所だったが,どこから情報を得たのか観光客がたくさん来ていた。そのため,食事をするにも1時間程待たなければならなかった。手持ち無沙汰で店の周りを歩いていると,海が一望できる処があった。その店は,崖の上に立っていて,そこから見える景色は,まさに絶景だった。「なるほど,ここが人気なのは,この景色にもあるのだな。」と一人で勝手に考想像して喜んでいた。しばらくすると,順番がきたので,食事をするために店に入った。私は,スパゲティを注文した。味もよく,マリンブルーの海を見ての食事は,リゾート気分を満喫するのに充分だった。息子は,オムライスを食べたのだが,「これまで食べた中で一番美味しかった。」と豪語する程だった。食事を終え,一服した所で,次の目的地沖縄ワールドへと向かった。そこには,琉球舞踊を見せてくれる所と玉泉洞という鍾乳洞があった。食事に時間がかかったためか,沖縄ワールドについた時間は,午後3時半をとうにまわっていた。琉球舞踊ショーの時間が差し迫っていたため, それから見ることにした。ベンチに座って待っていると,いよいよショーが始まった。最初,6〜7人の踊り手が出てきて,エイサーを踊った。女性の中に,男性が一人。知っている人もいるかもしれないが,普通エイサーは男性が踊る踊りである。当初,この構成に,いささか面食らってしまった。当初は,この程度かと感じた程である。しかし,踊り手の一生懸命踊る様を見ていると,その気迫と熱気にだんだん圧倒されてきた。ひたむきに踊る様を見ていると,なんだか涙がこぼれてきた。 と同時に,この程度かと思った自分が恥ずかしくなってきた。美ら海水族館,cafeやぶさち,沖縄には素晴らしい自然があるが,それにも負けて劣らない人の力を感じさせてもらった。その後,時間も差し迫ってきたので,玉泉洞に行くことにした。鍾乳洞の中に入ると,少しひんやりとしていた。いろいろな形の鍾乳石があり,代表的な物には名前がつけられていた。しかし,せっかくの自然の産物に人が勝手に名前をつけたので,何だか違和感を感じてしまった。途中,川が流れている所や鍾乳石が歩道にまで張り出している所もあり,それはそれで楽しかった。また,すぐに歩き終わると思っていた道は,想像以上に長く,鍾乳洞を満喫するには充分であった。結局,鍾乳洞を出る頃には,閉園時間も差しかかった頃であった。日も少し傾きかけてきたということで,ホテルへの帰路につくことにした。こうして沖縄旅行2日目が終わった。

2014年9月20日土曜日

沖縄旅行01

8月23日〜25日にかけて,沖縄旅行に行った。今回は,家族だけでなく,父や母,姉,妹家族も一緒だった。旅行に行こうと連絡が来たのは,5月だった。それから,飛行機のチケット,レンタカー,ホテルの予約などをすると,最低でも18万かかる計算になった。今時18万だったら,結構いいテレビが買えるし,パソコンだって最高性能の物が買える。どうしようか迷ったが,家族のいい思い出になるということで,結局参加することにした。当初,私は,大学が沖縄だったので,土地勘は大丈夫だろうと高を括っていたのだが,後にそれが災いとなってしまった。飛行機に乗り,那覇空港に付いた。そこからレンタカーを借りることになっていたので,レンタカー会社の人を探した。私は,会社の人が到着ロビーで待っているのかと想像していたのだが,現実は全く違って,到着ロビーには係の人はいなかった。それで,レンタカーの車が着く,シャトルバスの停車場を探した。しかし,地図で確認していなかったので,当初逆方向に歩いていった。途中で,これはちがうなと考え,方向を変え停車場を探した。すると,人が500人は並んでいる行列があった。まさか,ここではないだろうと思っていたら,なんとそこだった。沖縄では,観光客のほとんどがレンタカーで移動するらしく,そこには相当な人が並んでいた。シャトルバスは,何度も往復していたが,何百人も人がいるので,さばききれず,バスに乗るまでに30分程待たされた。それから,レンタカー会社に行くのだが,空港の近くにレンタカー会社はあるのに,遠回りをしているのかなかなか到着しない。結局,20〜30分程して,ようやくレンタカー会社についた。そこにも,100人程の人がいた。8月も下旬というのに,こんなにたくさんの人がいるとは,いささか閉口させられた。結局,飛行機を降り,レンタカーを借りるまでに,1時間以上かかってしまった。レンタカーを借りた後は,ホテルに行く予定だったが,すでに午後1時を回っていたので,当初の予定である美ら海水族館に直行することにした。しかし,大学時代にオートバイで通ったであろう道は,記憶の中からすっかり消えており,走ってすぐに迷子になってしまった。これではと,カーナビに頼る顛末に・・・。カーナビの案内で,ようやく高速道路に入ることができた。しかし,1〜2時間程で付く予定だったが,途中昼食をとったこともあり,美ら海水族館に着いたのは,午後も大分遅くなって4時頃になった。それから,水族館の中を見て回った。パンプレットでも有名な大水槽の前には,たくさんの人が集まっていて,その大きさにびっくりしていた。私たち家族も,他の人達と同じく,水槽の中のジンベイザメやエイの群れに圧倒され,ぽかんと口を開けて眺めていた。水族館を出ると,せっかく沖縄に来たということで,ビーチに行くことにした。ビーチまでは,徒歩で10分程だった。不思議なことに,ビーチにはほとんど人がなく,私たち家族を含め10人程だった。5時ぐらいだったが,遮る物がほとんどなかったため,相当に熱かった。その熱さに負け,写真を2,3枚とると,ビーチを早々に退散した。それから,宿泊場所であるホテルに向かって出発した。時間は,5時を少し回っていた。父や母と会う予定が7時だったので急いだのだが,名護市に入ってから,渋滞に巻き込まれてしまった。空いていれば,30分程の所を,40〜50分もかけて高速に入った。高速に入ってからも,意外に時間がかかり,結局那覇に着いたのが,7時30分程になってしまった。8時にレンタカーを返す予定だったので,家族をホテルで下ろし,ガソリンスタンドを探した。運が悪いことに,ガソリンスタンドは現在地から少し離れており,そこに行くまでに時間がかかった。これは間に合わないのかもしれないと思い,レンタカー会社に電話をした。レンタカー会社の人は,8時には自動的にシャッターが下りる仕組みになっているので,それまでは持ってきてくださいというそっけない返事だった。それで,スタンドまで車を飛ばし,ガソリンを入れると,のこりは5分を切っていた。それから,レンタカー会社を探すのだが,ナビに入力した住所とは少し違っていて,探しても探しても見つからない。結局,レンタカーを返す場所を見つけたのは,30分程たってからだった。とうにシャッターは閉まっており,その日レンタカーは返せずじまいに終わってしまった。レンタカーは,ホテルの近くの駐車場に停めることになった。なんだかんだで,結局他の家族と合流したのは,9時を随分まわってからだった。食事をしたり,ボーリングをする予定だったが,それもできず迷惑をかけてしまった。こうして,沖縄旅行は,初日からハプニング続きであった。


2014年6月1日日曜日

知らなかった!

今年,私の両親,姉妹と沖縄に旅行に行くことにした。旅費はマイルが貯まっているので,家族4人で,往復60000〜75000円(マイルを持つ本人は無料,他の3人は往復20000〜25000円)ほどかなと思った。その後,JALに予約をしようと思って,検索をかけてみるものの該当するものがない。「あれっ,どうなっていんだ?」と思って,何度か繰り返しても同じ結果であった。そこで,JALは,鹿児島から沖縄まで直行便が無いことが判明。当然,JALマイルも使えない。ここ1年,コンビニで100円の買い物をカードで買ったり,デパートで食費を買ったりして,ちまちまと貯めていたのに,それが使えないのだ。ショックのあまり,キーボードを打つ手が止まってしまった。その後,色々調べてみると,JALは飛んでいないのだが,ANAやソラシドエアは飛んでいることが分かった。ソラシドエアは,LCC(格安航空)で,最安値だと9800円で行けることが判明。また,ANAも,早割だと15000〜17000円程だということが分かった。調べていくと,色々なことが分かって,それはそれで面白かった。結局,行きはANA,帰りはソラシドエアを使うことにした(行きのソラシドエアの9800円は完売していた)。トータル100000円程になった。当初の予算をオーバーしたものの,何とか100000円程でおさめることができた。それにしても,JALの鹿児島—沖縄直行便が無いとは奇々怪々である・・・。

2012年2月26日日曜日

妙見温泉

トンネルを抜けると,そこは雪国だった。川端康成が書いた「雪国」の代表的な文である。最近,これに似た体験をした。昨日,ひょんなことから,霧島市にある妙見温泉を車で通った。これまで,何回か通ったことがある道であるが,ここ1年程遠ざかっていた。周囲を山に囲まれ,川沿いの小さな平地を利用して,温泉宿や家屋が建っている。モダンな温泉宿もあるにはあるが,そのほとんどは,もう何十年も建て替えてないであろう古い宿が並んでいた。それは,まるで昭和にタイムスリップしたような小さな温泉郷であった。自宅から,車で30分ほどしかしない所に,こんなひなびたところがあるのかと思いながら,車を走らせた。古い町並みを見ていると,郷愁のような不思議な感情が込み上げてきた。デジャブーではないが,自分の小さき頃の様子とどこか重なる部分があるような気がした。近代的な街も魅力的だが,こうした町も残していかなければいけないなと思った。ちなみに,写真があれば良かったのだが,残念ながら今回は写真が撮れなかった。というのも,道沿いに車が止められるような場所が適当な場所がなかったからだ。次回行くときは,ぜひカメラを持って出かけてみたいと思う。

2011年8月8日月曜日

船の中より

船の中からの投稿。入船して,しばらく回線が通じていたので,投稿しました。久しぶりに,島でゆっくりできました。試験的にやってみたけどどうかな?

2011年7月31日日曜日

週末は,電車に乗ろう

夏眠暁を覚えず。昨日,昔の同僚との飲み会だったので,今日は家から出ることもなく,家でだらだらしていた。昨日,お酒を飲むということで,久しぶりに電車に乗った。国分から鹿児島市まで1時間弱,改めてその快適さを実感した。車で行くと1時間と少し,時間もさることながら,車は自分で運転しなければならず,結構神経を使う。それが,電車では,ひとっ飛びである。鹿児島は,新幹線ブームで湧いているが,在来線もなかなかの速さである。電車に乗り,椅子に座ると,手持ちぶたさで,しばらくぼうっとしていた。そのうち,財布からレシートを取り出し,iphoneに入力していった。周りの人から見ると,変わった人に見えたのかもしれない。とにかく,電車の中で,7月分の入力が終わった。あまり使った感はなかったが,以外にも使っていることが分かり,少し我慢しないと行けないなと感じた。電車の中でしないと思っていたことが終わったので,すっきりした気持ちで電車を降りた。

2011年6月26日日曜日

はじめての鹿児島旅行

何かの拍子に,以前経験したことを思い出すことがある。時にそれは哀愁を帯びていたりする。懐かしいと感じる反面,しばらくすると何を思い出したのだろうと考えたりもする。こうしたことも,年のせいなのかもしれない。
小さい頃,たしか小学校の低学年だったと思う。初めて鹿児島に旅行に行った。その時のことは,以前ブログに書いたが,旅行の2日目だったと思う。その日は土砂降りで,雨がザーザー降っていた。もしかすると,今のように,梅雨時期だったのかもしれない。山形屋に行きたいということで,バスに乗った。鹿児島はあまり知らない両親だったので,バスに乗る前に,行き先のことを運転手に聞いたようだった。運転手は,無愛想にそれに答えた。また,ばつが悪いことに,出口から乗車した。島を走っているバスは,出口も入り口も同じだったからだ。しかし,停留所が,1つか2つもしないうちに山形屋が見えた。両親は乗り過ごしてはいけないと思ったのか,すぐに下車した。運転手は,「もう降りるのか。」というような対応だった。その時は,子供ながらに,後味の悪い気持ちがした。しかし,それから30年たつと,そうしたことも,何だか懐かしい感じがする。