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2018年2月6日火曜日

小学校の先生

私が小学校の頃,鹿児島から新任の先生がやってきた。まだ教師になりたてで,とても若かったことを覚えている。何にでも一生懸命で,特に理科が上手だった。ある日,カエルの解剖の実験があった。先生は,手際よく解剖していって,カエルの肺が膨らんだり縮んだりする様子を見せてくれた。小学生にとって,それはグロテスクであったが,それ以上にそうしたことができる先生がいることに驚かされた。それから,私はその先生を尊敬するようになった。何かの拍子に,その先生が,「3℃になったら,雪が降ります。」といったのを覚えている。南国の徳之島には,暖かいので雪は降ることはない。それでも,夢見がちな私は,いつか雪が降らないかと寒い日は空を見上げていた。先日,霧島市に雪がちらほらと降った。車の気温計を見ると1℃。あの先生のいったことは間違いではなかったのだなと,今更ながら考えることだった。

2017年4月9日日曜日

パイン工場と東亜観光ホテル

ふいにドローンを使った故郷の徳之島の動画が見たくなり,探していたら、なんといくつかアップされていた。南海にある小さな島なのだが、最新の機械を取り入れている人がいることにびっくりさせられた。そうした動画をいくつか見ていくと,パイン園の動画がアップされていた。そう言えば,小さい頃,山という地区を中心に,パイン畑があったなとかすかな記憶が蘇ってきた。ただ,徳之島にパイン工場があったとは知らなかった。その後,パイン園と併用するように,徳之島ヘルスセンターという娯楽施設がつくられたらしい。名前からすると,健康センターのような感じがするが,そこは宿泊施設やボーリング場,カラオケ,小さい子供が乗る乗り物など,娯楽施設が備えられていた。その後,そのヘルスセンターに併設する形で,東亜観光ホテルが設立された。総工費8億円,当時の価格なので,今に換算するととんでもないお金をかけて,近代的なホテルが建設された。当時,アメリカから奄美群島が返還されて間もない頃で,旅行会社の働きかけもあって,新婚旅行ブームが起き,徳之島にもたくさんの観光客が来ていたということであった。このホテルは,三階建ての近代的なモダンな建築で,近くにあるビーチと合わせて,観光客にとても好評だったそうだ。私も,家族といっしょに,何度かこのビーチに行ったことがある。そこには,綺麗なシャワー施設が完備されていて,何だこのきれいなシャワー室はと疑問に思ったことがある。その東亜観光ホテルは,その後買収されて,ニューオータニという名前に変わったが,確か私が中学校の頃には,閉鎖されたしまったと思う。パイン工場や東亜観光ホテルの動画を見ながら,今から40年前,徳之島は輝いていたのだなと感じさせられてしまった。


2012年6月9日土曜日

小さき頃02

小学校の頃,海の近くの団地に住んでいた。その団地の空き地に,父と母が野菜を植えていた。小さい頃だったので,とても広く感じたが,実際はそうでもなかったのかもしれない。暇があると,2人して畑に行き,そこで大根や人参,カブなどの野菜を作っていた。両親ともに植物に興味があり,庭に花を植えたり,野菜作りをしたりしていた。私たち兄弟は,そこにいって手伝いをするわけでもなく,畝と畝の間を跳んだり,鬼ごっこをしたりして遊んでいた。兄弟が多かったので,おもちゃは少なかったが,自然にあるものを使って遊んでいた。少し退屈そうだと思うだろうが,人が多いということは,それだけで楽しいのだ。両親は,野菜が大きくなると,私たち兄弟に見せて,「これが人参だよ。」と教えてくれたりした。私たち兄弟は,生活の中で,野菜に対する知識を付けていったように思う。2年程前,その団地に行ってみた。私たちの住んでいた家は,空き家になっていた。そして,玄関には,何かは知らないが,植物が生えていた。畑はその奥にあったので,多分にもう植物で覆われているのだと思う。そうした光景を見て,昔の記憶がよみがえるとともに,何か大切な者が失われたようで,とても悲しい思いがした。
 

2012年5月3日木曜日

小さき頃 01

私が小さい頃,海沿いの小さな団地に住んでいた。海が近いこともあり,休みになると,海に行って遊んでいた。徳之島は,島が珊瑚で囲まれているので,外洋と浜の間に大きな潮溜まりができていたり,珊瑚づたいに歩くことで,外洋の近くまで歩いていくことができる。小さい頃は,危険などをまったく考えることなく,よく外洋の近くまで歩いていって遊んだことを覚えている。そこは,自然の博物館のようで,青く鮮やかな小魚が泳いでいたり,それよりも少し大きな魚がいたり,カサゴなどの毒のある魚も見ることができた。私は,大学時代,沖縄にいたことがあるが,沖縄の海はエメラルドグリーンできれいにはきれいなのだが,そこではあまり生き物の姿を感じることができなかった。いろいろな自然に親しむことができるという意味では,島の海はまさに沖縄を凌駕していると言っても過言ではない。また,最近,水族館が少しブームになっているが,島は水族館がなくとも,サンゴ礁のあちこちにタイドプールのような潮溜まりが合って,その潮溜まりごとに,いろいろな生き物を見ることができた。自然なので,中にいる生き物は,その時々によって変わっていった。いつだったか,このタイドプールで,亀を見かけたこともあった。小さき頃,自然はいつも私の身近にあり,それを見たり触れたりすることが当たり前だった。

2011年11月13日日曜日

ばあちゃんのおかし

昔,母の親戚の家に,ばあちゃんがいた。そのばあちゃんのいる家にいつも遊びにいくと,台の上に菓子入れがおいてあった。丸い漆器製の菓子入れで,何処にでもあるものだった。その菓子入れには,いつも入っているお菓子があった。小さいバナナの形をしているお菓子で,食べると程よく甘みが利いていて,意外に美味しかった。私は,そのお菓子が好きで,ばあちゃんの家に行くと,いつもばあちゃん食べていいと聞いた,気のいいばあちゃんは,いつも二つ返事で,いいよと答えてくれた。今考えると,ばあちゃんのおやつだったのに悪かったなと思う。最近,そのお菓子が食べたくなり,あちこちのスーパーに行って探すのだが,見かけなくなった。1年ほど前,市内にあるA・Zで,たまたま見つけた。久しぶりに食べると,懐かしいと感じるとともに,昔の記憶がよみがえってきた。これは,いい所を見つけたと思っていたら,半年もしないうちに店頭から無くなっていた。それから,またそのお菓子が食べられなくなった。たくさんの種類のお菓子が販売されているので,消えていくお菓子が無くなっていくのは,致し方がないのかもしれない。先日,近くにあるハピネスというスーパーで買い物をしていたら,偶然にもそのお菓子が売っていた。その時は,所持金が少なく買う事ができなかったが,お金がある時に行って,少し買いだめておきたいなと思った。

2010年5月14日金曜日

小さきころのものは,より小さい!

何年か前,実家に帰省した際,小学校時代に住んでいた住宅に行った。それは,町から少し外れた場所で,道沿いの小高い所から,少し海側に下ったところにあった。住宅に入るには,後にも先にもこの坂道を通らなければならない。小さいころは,この坂道がとても急だったような気がした。しかし,実際に通ってみると,昔の印象よりもずっと小さく,短かった。こんなに短かったっけと,不思議に思ったぐらいである。私たち家族が住んでいたのは,その道のつきあたりにあった。30年も前のことだったので,もしかするともうなくなったのではないかと思ったが,あるにはあった。しかし,やはり相当に痛んでいた。また,大きさもイメージしていたものの,半分くらいの大きさで,なにより増築した部分は,軒先から作ったため,高さがとても低い感じがした。こんなところに住んでいたんだと,思った。抱いていた記憶とは,小さい家を見ていると,何だか自分も大分年を取ったのだなと感じた。

2010年4月29日木曜日

幸せって何だっけ!

小さい頃,海岸近くの住宅に住んでいた。平屋の建物で,全国どこにでもある建物だった。家族8人が,その中に住んでいたのだが,とても狭く,父が日曜大工で建て増しし,やっと住めるようになったような状態だった。しかし,家は狭かったが,幸せはあったなと,今更ながら考えることがある。布団を敷き,一番下に姉,上にわたし,そしてその上に妹が寝て,三段ベッドといって,楽しんでいた。また,近くに空き地があり,私の両親が,そこで家庭菜園をしていた。比較的広い畑で,30〜40㎡はあったと思う。その畑で,人参や大根,そしてカブなどを作っていた。両親は,よくその畑にいて,私たちはその周りで遊んだり,野菜をとったりして遊んでいた。裕福ではないが,生活の中の些細な出来事の中に,幸せがあったような気がする。