今年は,台風の当たり年である。最近では,先週,先々週と続けてきた。中でも,台風24号の勢力は強く,台風に慣れている徳之島の人でもびっくりするぐらいの勢力で通過していった。その破壊力は凄まじく,民家の屋根を吹き飛ばしたり,交通標識を根元からねじ曲げたりした。それに加え,インフラである水道,電気がまる1日止まってしまった。私の住んでいる天城は,場所にもよるが,川から一旦ポンプでくみ上げ配水している。そのせいで,電気が止まると水も止まってしまう。今回,この水がとても難儀だった。トイレが水洗であるため,その度に水が必要である。台風前に,風呂桶に水を1/3程溜めていたので難を逃れたが,あと1日水が来なかった大変なことになっていた。インフラが遮断された時に,これからどう対応していくかを自分なりに考えてみた。水道は,風呂桶に水を貯めるしかないのであるが,電気の方はいくつか解決策が見つかった。一つは,発電機である。アマゾンで調べると,5〜10万程することがわかった。また,蓄電機もあった。これは,1〜5万程した。ただし,停電は長時間続くので,実用的かと言われるとなんとも言えない感じがした。さらに,太陽光発電があった。これもピンキリあって,数千円〜数万ほどした。中には,100W級の物も売っていて,これなら十分に対応できると感じた。現時点では,発電機が最有力であるが,屋外での使用となるので,使い勝手に難がある。室内での使用を考えると,太陽光と蓄電器の組み合わせもいいかなと思ったりもする。これから,台風が来ることは稀だと思うが,来年に備えて何がしかの対策を備えておく必要があるなと思った。
・発電機
・蓄電機
・ソーラーパネル
2018年7月21日土曜日
台風接近!
週末台風という言葉をどこかで聞いたことがある。今年,徳之島に転勤してきたが,もう4度目の台風である。不思議なことに,台風の接近は見事に週末に重なっている。暦は,地球の自転から作成されている。もしかすると,この週末台風も地球の自転に影響されているのかもしれない。奄美群島は,台風の通過が多いとは認識していたが,これ程多いと少し滅入ってしまう。春先に植えたサルビアやマリーゴールドの花も,塩害のせいか半分ほどやられてしまった。そのためか,花づくりに対する情熱が低くなったのは言うまでもない。しかし,そうばかりいっても話は始まらない。少しずつではあるが,また花づくりに挑戦していきたい。
2018年2月6日火曜日
小学校の先生
私が小学校の頃,鹿児島から新任の先生がやってきた。まだ教師になりたてで,とても若かったことを覚えている。何にでも一生懸命で,特に理科が上手だった。ある日,カエルの解剖の実験があった。先生は,手際よく解剖していって,カエルの肺が膨らんだり縮んだりする様子を見せてくれた。小学生にとって,それはグロテスクであったが,それ以上にそうしたことができる先生がいることに驚かされた。それから,私はその先生を尊敬するようになった。何かの拍子に,その先生が,「3℃になったら,雪が降ります。」といったのを覚えている。南国の徳之島には,暖かいので雪は降ることはない。それでも,夢見がちな私は,いつか雪が降らないかと寒い日は空を見上げていた。先日,霧島市に雪がちらほらと降った。車の気温計を見ると1℃。あの先生のいったことは間違いではなかったのだなと,今更ながら考えることだった。
2017年4月9日日曜日
パイン工場と東亜観光ホテル
ふいにドローンを使った故郷の徳之島の動画が見たくなり,探していたら、なんといくつかアップされていた。南海にある小さな島なのだが、最新の機械を取り入れている人がいることにびっくりさせられた。そうした動画をいくつか見ていくと,パイン園の動画がアップされていた。そう言えば,小さい頃,山という地区を中心に,パイン畑があったなとかすかな記憶が蘇ってきた。ただ,徳之島にパイン工場があったとは知らなかった。その後,パイン園と併用するように,徳之島ヘルスセンターという娯楽施設がつくられたらしい。名前からすると,健康センターのような感じがするが,そこは宿泊施設やボーリング場,カラオケ,小さい子供が乗る乗り物など,娯楽施設が備えられていた。その後,そのヘルスセンターに併設する形で,東亜観光ホテルが設立された。総工費8億円,当時の価格なので,今に換算するととんでもないお金をかけて,近代的なホテルが建設された。当時,アメリカから奄美群島が返還されて間もない頃で,旅行会社の働きかけもあって,新婚旅行ブームが起き,徳之島にもたくさんの観光客が来ていたということであった。このホテルは,三階建ての近代的なモダンな建築で,近くにあるビーチと合わせて,観光客にとても好評だったそうだ。私も,家族といっしょに,何度かこのビーチに行ったことがある。そこには,綺麗なシャワー施設が完備されていて,何だこのきれいなシャワー室はと疑問に思ったことがある。その東亜観光ホテルは,その後買収されて,ニューオータニという名前に変わったが,確か私が中学校の頃には,閉鎖されたしまったと思う。パイン工場や東亜観光ホテルの動画を見ながら,今から40年前,徳之島は輝いていたのだなと感じさせられてしまった。
2012年5月3日木曜日
小さき頃 01
私が小さい頃,海沿いの小さな団地に住んでいた。海が近いこともあり,休みになると,海に行って遊んでいた。徳之島は,島が珊瑚で囲まれているので,外洋と浜の間に大きな潮溜まりができていたり,珊瑚づたいに歩くことで,外洋の近くまで歩いていくことができる。小さい頃は,危険などをまったく考えることなく,よく外洋の近くまで歩いていって遊んだことを覚えている。そこは,自然の博物館のようで,青く鮮やかな小魚が泳いでいたり,それよりも少し大きな魚がいたり,カサゴなどの毒のある魚も見ることができた。私は,大学時代,沖縄にいたことがあるが,沖縄の海はエメラルドグリーンできれいにはきれいなのだが,そこではあまり生き物の姿を感じることができなかった。いろいろな自然に親しむことができるという意味では,島の海はまさに沖縄を凌駕していると言っても過言ではない。また,最近,水族館が少しブームになっているが,島は水族館がなくとも,サンゴ礁のあちこちにタイドプールのような潮溜まりが合って,その潮溜まりごとに,いろいろな生き物を見ることができた。自然なので,中にいる生き物は,その時々によって変わっていった。いつだったか,このタイドプールで,亀を見かけたこともあった。小さき頃,自然はいつも私の身近にあり,それを見たり触れたりすることが当たり前だった。
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