2020年4月26日日曜日

データの管理について

皆さんは,データの管理をどのように行っているだろうか。データの管理は,大きく分けると,ジャンルごとに分ける場合と年別に分ける場合の2種類あるように思う。データ量が少ない場合,その多くはジャンルごとに分けられることが多い。その方が検索しやすいからである。しかし,データが多くなると,その管理がややこしくなってくる。ファイルやフォルダー縦(フォルダー構造が深くなる。)や横に広がり,作ったはいいものの,再度そのデータを利用しようすると,どこに保存されたのか分からなくなるからである。それで,ファイル検索を使うものの,結局目的のデータを見つけることができず,新たに作り直さなければならないこともある。そこで,私は,データの管理を年別とジャンル別に併用して行っている。初め,年度別にフォルダーを作成し,その中ではジャンル別に分けるといったファイル構造である。しかし,この場合でも,横に広がりすぎたり,縦に深くなりすぎたりする問題は生じてくる。そこで,よく使用し重要度が高い物は,フォルダー構造の一番先(年度別のフォルダー)と並べるように作成している。こうすると,必要なデータをすぐに見つけることができるようになる(これも増やしすぎると,逆にファイル構造を複雑にするだけである。重要度が高い物を3~4個程度にするとよいと思う)。私が考える理想的なファイル構造は,縦にも横にも広がりすぎない正方形のツリー構造が最もよいと思う。データが増えると,正方形の形も増えていくが,それぞれのデータ自体は広がりすぎず,検索しやすい状態になるからである。まあ,これはあくまで私個人の話なので,データの管理はそれぞれあると思う。皆さんのデータ管理について,ぜひ聞かせていただきたい。

2020年3月15日日曜日

企業への電話

最近,検定への応募や製品の仕様について,企業に電話をする機会が何度かあった。1つ目は,科学検定への応募についてである。昨年も行ったが,1年たつとまるっきり忘れていた(年々,記憶力の低下が激しくなっている・・・(>_<))。それで,応募の仕方や締締切日,名簿の作成の仕方等,何度か連絡をした。何度も連絡をしたので,先方は辟易していたのかもしれないが,なんとか応募することができた。2つ目は,印刷機である。最近,学校にある印刷機の調子が悪く,裏面を印刷する際重層が置き,その度に印刷機が停止した。これを解決するために電話をしたところ,紙を置いてある所の上に丸いレバーがあり,通常は9時の方向に設置されているが,重層が発生した場合は右に回す(10時や11時の方向)とよいと言われたので,早速そのように設定したところ,症状がかなり改善した。しかし,担当の方で修理をたのんでいたらしく,紙送りの部分を交換したところ,重層は起きなくなった。三つ目は,ジャストシステムの花子の件である。花子は,図形作成ソフトで,複雑な図形を作成するのにとても重宝するソフトである。ただ,地図を作成する際,中抜き道路(両側に線があり,中は白色)が作成できなかったので,どうにかして作成できないか電話をしたところ,「一度太い線を引き,その上に細い線を重ねることで,擬似的にできますよ。」との回答であった。それじゃあ,二度手間になるなあと思いながらも,それ以外にできないということだったので,感謝の言葉を添え,電話を切った。それぞれに,解決できたり,できなかったりしたが,製品の使用についていろいろ聞くことで,自分の中では満足感があった。それは,頭の中でもやもやしていたものが,雲が晴れ,日が差してきたような感じだった。

お気に入りの物

最近,古い物に興味を惹かれる。大掃除をしたとき,それまで存在さえ知らなかった物が出てくることがある。それは,10年前だったり,事によると20年以上前の物だったりする。色味や形が奇をてらっていて,原色が使われていたり,形も凝っていたりする。最近は,デザイン性を考慮している製品が多い。その為,色や形においてもシンプルな物が増えている。結果,色や形は多少異なるけれど,全体的には類似した商品になってしまっている。それに反するかのように,昭和に作られた物は,それぞれに個性があり,一際輝いている物が多い。以前,実家に行った際,テーブルの上に小物入れが,置かれていた。それは,濃い色が使われていて,ステンドグラスのようだった。形も切り子のようなカットが使われていたおり,見たとたん心を引きつけられた。とてもいいデザインだったので,母親に「もらっていい。」と聞くと,「2こあるからいいよ。」と言われた。なんでも,その1つは祖母から買ってもらったものらしい。それで,1こもらって帰ってきた。これで,お気に入りがまた一つ増えたことになる。物は何も語らないが,そこにあることで,小さな幸せを感じる今日この頃である。


2020年2月12日水曜日

ミニマリズム

最近,ミニマリストについて考えることがある。いろんな物に囲まれて,探し物をしている時間が長いからである。誰だったか,「人生の大半は探し物をしている時間である。」なんて言っていたが,私もその一人である。て言うか,大量消費時代の昨今,どの家でもそうした状態なのかもしれない。これでは,いけないということで,年末から年始にかけて,タンスの整理をした。引き出しをひっくり返して,必要な物とそうでない物に分けていった。中には,高校時代部活動をしていたときに来ていたユニフォームだったり,社会人になって職場でそろえたTシャツなども出てきた。それぞれに思い出があり,捨てるまでふんぎりがつかなかった。結局,思い出という諸事情により,処分できたのは5分の1程度であった。そこで考えたのであるが,処分できないのであれば,買わなければいいという結論に至った。家にあるものは,買わない。例えば,はさみ,カッター,封筒,下着等々,まだある物は買わない。そして,使えなくなった時,処分すると同時に購入する。こうしたサイクルで商品を購入すると,物に埋まることはない。これからは,このルールを守って,買い物をしていきたい。

差し込み印刷について

年末だっただろうか。仕事で差し込み印刷を使う機会があった。というのも,昨年本校から転出した児童が多く,その書類を送るのに手間がかかったからだ。転出児童は,全部で10名程であったが,住所を調べ,封筒の表書きをしたり,返信用封筒を同封したりして,結局2日ほどかかってしまった。これは,効率的ではないなと考え,パソコンで宛先を印刷できないか,ネットの中をいろいろ探していた。すると,ワードの差し込み印刷は,まず住所録を作る(ワードの差し込み印刷タグ内)こと,その後印刷する封筒のサイズを決めること,最後に先ほど入力した情報を,どこに印刷するか指定すること,この3つを指定すると,印刷できるようになることが分かった。なに分,はじめてのことだけに,最初はどういう設定をすればいいか全く分からなかった。ただ,そうした時はYouTubeで検索すると,大概それに関した動画が紹介されている。それで,YouTubeを見ながら,差し込み印刷の設定をしていった。かれこれ,1~2日かかっただろうか。ついに,差し込み印刷ができるようになった。これで,相手先の住所さえわかれば,プリンターを使って簡単に印刷できるようになる。この差し込み印刷の最もよい点は,以前入力した情報があれば,再度入力しなくてもいい点である。宛先が同じ場合,その学校を指定さえすれば,すぐに印刷できる。これまでできなかったことが,できるようになってなんとなくすっきりした気持ちになった。

2019年10月19日土曜日

粉瘤手術 02

そして,いよいよ手術の日がやってきた。前回の倍以上の大きさだったので,どれだけ痛むか心配だった。13時の予約だったが,検診が長引いてしまい,結局14時半に手術室に入った。手術室は,テレビで見たそれであった。初めは,「まさに手術室ですね。」なんて言う余裕もあったが,手術台にのせられると緊張感がだんだんと増してきた。しばらくすると,執刀医がやってきて,これから手術をすることを伝えられた。始めに,痛みがないように麻酔が何本か打たれた。しかし,注射針が大きいせいか,これがすこぶる痛かった。それが6~7本ぐらい打たれた。麻酔を打たびに,痛みは少なくなってきた。それから,いよいよメスを使った手術が始まった。腹のところには,手術の様子が見えないように布がかけられていたのだが,皮膚を通してそのようすがなんとなく伝わってきた。また,見えないことが想像力を高めてしまい,恐怖感を増大させた。粉瘤は,6~7cmほどあったので,簡単には取れなかった。途中,執刀医が,「痛いときは言ってください。」と声をかけてくれたのだが,恥ずかしさもあり最初はがまんしていた。そのうち,深い部分に達してきた。すると,痛みが断続的にやってきた。それに耐えきれず,痛いと声を出した。すると,その部分に麻酔が打たれた。しかし,切除するところが別の部分にいくと,また痛みが増し,その度に麻酔を打たれた。そうしたことが何度となく繰り返された。ついには,痛みに耐えきれず涙まで出てきた。そして,麻酔は何本うたれたか分からないくらいになった。執刀医も粉瘤を取ろうと格闘しているようだった。そうした作業を繰り返しているうちに,医師と自分との間に,運命共同体のようなものを感じた。医師は患者を助けたい,私はこの医師を信じなければならない,そうした意思の糸のようなものが伝わってきた。1時間ほどすると,粉瘤を切除することができた。しかし,今度は切除したところの縫合が待っていた。切除した部分が広かったために,これがまた痛かった。ここでも耐えきれず,麻酔を何本も打たれた。最初,数滴だった涙も滝のようにあふれて,ついには放心状態になってしまった。結局,1時間30分ほどして手術は終わった。手術は,もうこりごりだと思ったと同時に,これでもう大丈夫だという安堵感があった。その後,両親が来ていたのでロビーで面会した。私は,なんとか平静を装ったが,涙が流れていたので,そうではないということを察したと思う。そして,病院で1時間ほど休むと,帰宅してもいいと言うことだったので帰宅することにした。

粉瘤手術 01

9月になってきてから,左脇腹にある粉瘤が痛み出した。粉瘤とは,なんらかの理由で体内に袋ができ,その中に垢や体内分泌物が溜まり,その部分が膨らむ病気である。実は,30代の時も右脇腹に粉瘤ができた。それは,1~2cmほどの小さな物だった。粉瘤を見た医者が,手術で取れますよと軽い感じで言ってきた。私も違和感があったので,取ってほしいと二つ返事で答えた。そして,手術の日がやってきた。最初は,楽な気持ちで病院に入ったのであるが,手術台の上に乗せられると,変な緊張感が湧いてきた。それから,手術が始まった。粉瘤自体は小さかったにもかかわらず,部分麻酔で行ったためすこぶる痛かった。その時,この粉瘤に対するトラウマが生まれた。その経験が,今回の手術を悪化させた。違和感はあるものの,痛みはなかったので,そのまま放置していた。すると,だんだん大きくなり,6~7cmほどになった。違和感が膨らむとともに,痛みも加わった。そのせいか分からないが,熱も出てきた。これは,手術しなければならないなと思い,徳州会病院に行った。その日は休日だったこともあり,研修医らしい人が診察をした。「粉瘤ですね。水曜日に取るように外科に予約を入れておきましょう。」と言って,その日はそれで帰宅した。しかし,痛みは相変わらずで,熱も出たり出なかったりした。それから数日,痛みと熱を我慢しながら仕事に行った。そして,水曜日を迎えた。今日でこの痛みともさよならできると思い,診察室に入った。担当医(執刀医)は,私の粉瘤を見て,「これは大きすぎるので,今日は手術できないよ。後日,また日を改めて手術しよう。」と言った。その日,手術をすると言って仕事を休んできた手前,私もそのままでは引き下がれなかった。また,痛みもピークに達していた。何度か,担当医に,「今日,できませんか。」とお願いしたが,大きさが大きさだけに,それはできないとのことだった。また,申し訳なさそうに断っている姿が伝わってきて,結局土曜日に手術をすることを確認して,帰宅することにした。しかし,痛みはますます強くなり,熱も断続的に上がったり下がったりした。続く・・・