2021年5月8日土曜日

幸せって,何だっけ?

 人は,何のために生きるのだろうか。若い自分は,地位や名誉に憧れ,一生懸命努力した。時分にはその能力があり,それを実現できると思っていた。しかし,歳を重ねていくと,自分の能力に限界を感じ,劣等感に苛まれた時期もあった。ネット上で検索していると,「やればできる。」とか「努力はうらぎらない。」とか色々言われているが,必ずしもそうでないと思ったりする。この若い頃の思い出が,この年になっても心のどこかに残っていて,時折それが顔を出すことがある。人に言わせると,そうした経験をすることで人の痛みが分かるようになり,いい経験になると言われたりするが,その時に感じた痛みはたぶん死ぬまで尾を引きずっていくのだろうなと思ったりする。話は少し変わるが,今日帰宅する時に,無人販売の横に2人のおばあちゃんが椅子に座っていた。その椅子は,ビールケースに板を取り付けた様な簡単な作りで,座り心地はあまり良くないと思われるものだったけれど,幸せそうな様子が何故か印象的だった。椅子に腰掛け,笑い合う二人。その横に,自分たちが作ったのであろう野菜が並んでいた。車で通りすぎだだけだったので,5〜10秒ほどだったと思うが,目に止まってしまった。畝を立て,そこに肥料を入れ,野菜を育てる。野菜を作るには,いろいろな努力と知識が必要である。そうした過程を経て,そこに座っていたのである。その光景が,あまりにも印象的だった。かたや自分を振り返ると,毎日の生活に追われ,幸せをどこかに置いてきたような感じが拭えない。これからは,幸せとは何か,そのためには何をしなければならないのかを考えないといけないと思った。まずは,鍬を持って,地面を耕すことから始めることが必要なのかもしれない。

2021年1月21日木曜日

困った時は遠心力!

 2年ほど前,全校生徒の前で話をする機会があり,私は専科をしている関係で理科に関する話をした。時期的に冬だったので,手をこすると温かくなることや重ね着をすると,服の間に空気の層がたくさんできて快適に過ごすことができるということを話した。この時点で約10分,持ち時間は15分だったので,あと5分残っていた。しょうがなく,バケツの中に水を入れて回してみた。結果は,振り下ろした時に水が少し溢れてしまったため,成功なのだけれど失敗のような感じで終わってしまった。その時の印象が強かったのか,今でも鮮明に覚えている。このバケツの水は,遠心力で落ちないのだが,この遠心力はいろいろな場面で使えるなと思った。例えば,マヨネーズ。粘性があり,きちんと出るまでに時間がかかるが,キャップをしっかり閉めて強く降るとキャップ付近にマヨネーズが集まり,少し押しただけで出るようになる。理科に関しては,試験管の中の水を減らす時にも遠心力が使える。試験管を洗ってしばらく置いていても,半密閉の状態なのでなかなか水が蒸発しない。そこで,遠心力の登場である。試験管を何本かにぎり,頭上から大きく手をふりかざす。それを何度か繰り返すと,試験管の中の水は当初の10分の1程に少なくなっている。このように,遠心力はさまざまな場面で活用できる。今日,理科の実験で試験管の中に同じぐらいのサイズのゴム栓がつまってしまった。きっちり入ってしまったので,取れそうで中々取れない。千枚通しで刺して取ろうとしてもゴム栓がどんどん中に入っていってしまう。どうするか考え込んでいたら,あの遠心力の考えが頭に浮かんできた。ダメ元でやってみようと思い,やってみた。するとパンという音とともにゴム栓が飛び出してきた。音が大きかったのでびっくりしたのか,それともゴム栓が取れてびっくりしたのか,子ども達も驚きの目でその様を見ていた。この経験から,困った時は遠心力という考えがますます湧いてきた。

2020年12月26日土曜日

ブレイクスルー!

何かの拍子に,それまで理解できなかったり,上手くできなかったりしたことが,できるようになることをブレイクスルーというらしい。私にとって,それが昨日起こった。昨日から冬休みに入り,これを機会にプログラミングについてある程度理解を深めようと,Scratchを使ってプログラミングに取り組んでみた。このScratch,これまでにも何度も挑戦してみては,諦めたソフトである。というのも,プログラムの順番を間違えたり,入力場所が違うだけで,全く動かなくなるからである。去年だったか,AmazonでScratchの本を購入し,チャレンジしようと試みたが,断念した経緯がある。それでも,プログラミング学習は進められるわけで,それに応じて私たち教師も対応していかなければならない。ある意味,それは背水の陣的な物で,必要に応じて始めたようなものだった。プログラミングを始めるとすると,普通簡単なものから始めるのが定説であるが,何を思ったのかピンボールゲームを作ろうと思った。最初は,画面上に表示させる物(ボールとそれをはね返すバー)を表示させることから始まった。これは,すぐに作ることができた。それから,ボールを動かす設定にとりかかった。これも,1学期ネコがねずみを追いかけるプログラムを作ったことから,最初はどうかなと頭をひねったが,そのうちやり方を思い出して作ることができた。それから,バーに当たるとボールが跳ね返る設定にとりかかった。ここからが,とても難しかった。何度設定してもうまく動かず,結局YouTube上に公開されている動画を何本か見ることで,何とか動くように設定することができた。ドローンの時もそうだったが,設定がうまくいかないときはYouTubeに設定の仕方が載せられており,それを見ると解決できることもある(必ずできるとは分からないが・・・)。とにかく,なんとかバーを使って,ボールを反射できるようになった。これで,ほとんど完成なのだが,最後にボールが左端に来ると,GameOverになる設定をしたかった。そうではないとエンドレスになり,ゲームとは呼べないからである。これが,また相当難しかった。というのも,画面の端は上下,左右同じである。ましては,コンピューターに左端だけを認識させるのは,至難の技であった。では,どうやって左端を認識させたかというと,左端に青い線を引き,そこに触れたかどうかを判別させることで設定することができた。作るのが難しかっただっただけに,出来上がった時の喜びはひとしおだった。その勢いをかって,その後りんごをキャッチするゲーム,車がラインに沿って動くゲーム等を作っていった。そうこうするうちに,アカウントを取得し,自分の作ったプログラムを紹介するページまで作ることができた。昨日は1日かけて,Scratchに関する色々な設定をすることができた。冒頭にも書いたが,それは自分にとってまさにブレークスルーであった。これからも,色々な機能を覚えることで,プログラム作りに邁進していきたい。 


 

2020年12月19日土曜日

小さき頃

昔,私たち家族は,亀津に住んでいた。ただ,父や母の実家は,天城にあった。距離にして,20〜30kmほどだろうか。たまに,車に乗って父母の実家にることがよくあった。そこには,じいちゃんやばあちゃん,おじさんやおばさんがいて,そこに寝泊まりするのが定番だった。父方のじいちゃんの家は,天井がむき出しになっていたので,梁に乗って落ちないようにつかまったり,四つん這いになって移動したりしていた。梁といっても,子どもからすると,結構高く,結構な緊張感があったような気がする。母方のおじさんの家では,お盆の時に贈り物の抽選会があって,そこでくじをするのがとてもうれしかった。親戚づきあいの多い島なので,様々なお中元が送られてきていた。中でも,私たち兄弟のお気に入りは,色々な果物の入った缶詰だった。抽選会でそれが当たった時は,両手を上げて大喜びしたものだ。兄弟が多いため,みんなで分け合って食べなければならず苦労することもあったが,そのときの我慢する心は今でも生きているような気がする。車で帰宅するとき,ガードレールに付けられている丸い反射板をよく数えていた。それが,いくつだと分かったとしても意味のないことだが,その時私たち兄弟にとってそれはとても大切な感じがした。しかし,大抵は夜遅く帰るので,数え始めはいいがそのうち眠くなり,家に帰り着く頃は寝てしまうのがつねだった。ある時は,今日こそは眠らないぞと思って粘っているのだが,いつのまにか眠ってしまっていた。それで,反射板の数はついぞわからずじまいだった。そんな,記憶も良い思い出として残っている。

2020年12月5日土曜日

喫茶店を探して!

天城町には,喫茶店がない。もしかすると,あるかもしれないがまだ見つけられていない。それで,コーヒーを飲むには,定食屋かファミレスに行って飲むことになる。わたしは,元来コーヒー好きで,コーヒーさえあればそれでいいぐらいである。最近の週末の過ごし方は,ジョイフルに行って定食を頼んだ後,ドリンクチケットを出しコーヒを何杯か飲む。その間,仕事をしたり,ネットをしたりして過ごす。鹿児島にいた時も,週末はスタバに行き,コーヒー1杯で1〜2時間粘り,ネットサーフィンをしたりしていた。店で,パソコンなんてちょっとかっこつけしいと思うかもしれないが,むろんそうした気持ちが少しもないわけではない。どうかすると,半分ぐらいはそんな気持ちがあるのかもしれない・・・。3年ほど前になるだろうか,息子に会いに東京に行った。いろいろなものを見て影響を受けたのだが,銀座スタバに入った時,パソコンを開けて仕事をしたり,ネットを見ている人たちがいて,カルチャーショックを受けた。それで,そうしたスタイルを島でもしたい,いや広げたいと思い,行動している。もちろん,その時にコーヒーは必須である。コーヒーを口に入れると,独特の味と苦味に科学反応し,至楽の世界へ連れて行ってくれる。そうした時間は,普段何気なく過ごしている時間とは,明らかに違うような気がする。今はジョイフルで過ごしているが,そのうち気に入った喫茶店ができたら,そこで仕事をしたり,ネットを見たりして行きたい。だれか,天城町に喫茶店を作ってくれないかなあ・・・。

2020年11月21日土曜日

生活の質を落とす!

最近,生活の質を落とそうと思っている。余計な出費を抑えることで,将来に対する貯金をしようと考えたからである。私は,よく百均とかで売られてるT字カミソリを使用しているが,先日洗濯機の上に,ホテルによくあるT字カミソリが置かれていた。刃が薄く,すぐに切れなくなるあれである。切れ味が悪く,そのまま捨てていたのであるが,これも使えると思い使用することにした。使用すると,案の定切れ味が悪いのだが,それでも髭を剃ることはできた。また,髭剃り用に石鹸を使うのであるが,これも息子たちが置いていった洗顔フォームを使用している。これが,なかなか長持ちして,半年使用しても3分の1程度残っている。以前は何も考えず購入していたのであるが,意識して買い物をすると余計な物を買う必要も無くなるし,そういえば家にまだあったと思い踏みとどまることができるようになった。その分,お金をあまり使わなくなった。ただ,何も買わないことではなく,必要な物に関しては買う必要がある。例えば,ソファー。これは無くても生きていける。しかし,ふとしたときそれに座ってくつろぐことができる。その分,生活を豊かにすることができる。また,食べ物。これを極端に制限すると,やがては健康を害し,病気になってしまう。他にも,日常生活で必要な物は,買う必要があると思う。要は,節約するところには節約し,その分を生活を豊かにするものに投資する。お金の再分配を意識しながら生活することが,豊かな暮らしに繋がるのではないかとふと思ったりする。

2020年11月3日火曜日

キッチンの掃除をしました!

人が人として行きていくためには,衣・食・住が大切だと言われている。では,この中で一番大事なものは何だろうか?それは,食だと私は思う。人は,食べることで,エネルギーを生み出している。そう考えると,食という行為にもっと目を向けることが必要なのかもしれない。色々なものが溢れている昨今,得てもすると食費を抑えて,欲しい物を購入する代金に当ててしまう。そのせいで,私たちは健康に必要な栄養素を取らないことになる。人の幸せは,健康と誰しも口を揃えていうが,それを実践している人はどれほどいるだろうか。特に,若い人たちは,健康であるが故に,そのことに対して目を向けないでいる。実際,私もその部類であったし,現在も進行形である。食に目を向けようと,今週はキッチンの掃除に取り掛かった。きれいな環境だと,料理をする気持ちが増し,食も充実すると考えたからである。それで,以前購入したケルヒャーのスチームクリーナーで,壁やコンロに蒸気を吹きかけていった。前にも書いたのだが,この蒸気だけで綺麗になると思ったら問題である。蒸気は,油のギトギト感を和らげてくれるものの,根本的な解決にはやはりクレンザーや重曹の力を借りなければならない。壁が終わると,今度はキッチンの総本山であるコンロを掃除していった。コンロには,五徳やグリルなどいろいろな物があり,掃除をするのは大変である。特に,油でギトギトになった五徳をきれいにするには,根気が必要である。若い自分,この五徳をきれいにするということで,1時間ほど磨き続けた記憶がある。しかし,1ヶ月もすると,また油まみれになる。それで,最近は磨く回数を決め,定期的に磨くようにしている。その方が,意欲が持続するし,間隔をあけて磨くことで,ある程度綺麗な状態を保ち続けることができるからである。掃除の基本は,上から下。奥から手前であるが,それに加えて繰り返し行うことも入れていいのではないかと思う。とにかく,高温の蒸気を当てた後,金たわしに重曹をつけて各部分を磨いていった。小一時間ほどすると,キッチン周りがだいぶきれいになった。それを見て,これから自分でも少しは料理を作っていかないとなあと考えたりもした。男子厨房に入らずという言葉もあるが,これから自分,そして妻のことを考えると,そうばっかりいってはいられない。少しずつ料理のレパートリーを増やしながら,頑張っていこうと思う。さて,何から作っていこうか思案していると,急に料理をする意欲がなくなっていった。