2020年12月19日土曜日

小さき頃

昔,私たち家族は,亀津に住んでいた。ただ,父や母の実家は,天城にあった。距離にして,20〜30kmほどだろうか。たまに,車に乗って父母の実家にることがよくあった。そこには,じいちゃんやばあちゃん,おじさんやおばさんがいて,そこに寝泊まりするのが定番だった。父方のじいちゃんの家は,天井がむき出しになっていたので,梁に乗って落ちないようにつかまったり,四つん這いになって移動したりしていた。梁といっても,子どもからすると,結構高く,結構な緊張感があったような気がする。母方のおじさんの家では,お盆の時に贈り物の抽選会があって,そこでくじをするのがとてもうれしかった。親戚づきあいの多い島なので,様々なお中元が送られてきていた。中でも,私たち兄弟のお気に入りは,色々な果物の入った缶詰だった。抽選会でそれが当たった時は,両手を上げて大喜びしたものだ。兄弟が多いため,みんなで分け合って食べなければならず苦労することもあったが,そのときの我慢する心は今でも生きているような気がする。車で帰宅するとき,ガードレールに付けられている丸い反射板をよく数えていた。それが,いくつだと分かったとしても意味のないことだが,その時私たち兄弟にとってそれはとても大切な感じがした。しかし,大抵は夜遅く帰るので,数え始めはいいがそのうち眠くなり,家に帰り着く頃は寝てしまうのがつねだった。ある時は,今日こそは眠らないぞと思って粘っているのだが,いつのまにか眠ってしまっていた。それで,反射板の数はついぞわからずじまいだった。そんな,記憶も良い思い出として残っている。

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