2019年6月29日土曜日

昔の記憶!

遠い昔のことだが,今でも鮮明に残っていることがある。それは,日常生活の何気ない風景なのであるが,なぜだか心に刻まれた記憶である。父方の本家は,天城の入り口にあり,周りの家より少し小高い所に立っていた。真偽の程は分からないが,薩摩から派遣されていた役人の下で働き,砂糖を集める手伝いをしていたそうだ。そのためかどうかは分からないが,家の敷地内には小さな鐘があった(私が生まれ以来,この鐘の音を聞くことはほとんどなかった)。家は,木造で建てられており,天井は瓦でふかれていた。役人の部下と言う割には,かなり質素な作りであった。また,離れた所に,比較的大きな倉庫と,豚小屋があった。そのせいで,近くに行くと,その匂いがした。ある日,私が庭で遊んでいると,道の方からおじさん達の声が聞こえた。おじさん達は,耕運機に乗っていて,そこに荷物が乗せられたるように荷台が繋がっていた。「畑に行くので,乗らないか。」そんな趣旨の言葉をかけられたと思う。私は,これは面白そうだと思い,小高い斜面を駆け下りて,その耕運機に乗った記憶がある。もちろん,耕運機なので,スピードはすこぶる遅かったが,それが妙に心地よかった気がした。そのおじさん達も,元気に暮らしている人もいるが,病気で亡くなった人もいる。今でも,車でその道を通ると,あの時の記憶が蘇ってきて,感慨深い気持ちになる。

2019年6月22日土曜日

経験は,正しい方向に導くとは限らない!

経験は,その後の行動を決める規範となる。しかし,経験したことがよい方向に働く場合とそうでない場合があると感じることがある。例えば,知識として得た情報が正しかった場合,もしくはその状況に適している場合は,その経験はよい方向に働く。ある失敗した場合,同じ失敗を繰り返さないよう対策を練るのはこの方法である。しかし,経験が悪い方向に働く場合もある。それは,知識として得た情報が間違っている場合,もしくはその状況に適していない場合は,悪い方向に働く。特に,合理的に考えるとそれが適していると考えられても,その状況に適していない場合は,逆に経験が足を引っ張ることがある。最近,仕事をしていて,「それはそうなんだけれど,ちょっとちがうなあ。」と感じることがいくつかあった。もしかすると,他の人から見たら,私自身の行動も違うなあと感じることがあると思う。これからは,経験に頼るだけでなく,「本当にそれでよいのか。」と考えながら,行動していきたい。

2019年6月15日土曜日

そのパソコン,まだ使えます!

職場にあるパソコンは,年式が古く, 引っ越して来た当初から,ファンがウンウン唸っていた。 よく見ると,フリーソフトを含め,色々なアプリがインストールされていた。映像や音声,動画編集と,処理が重いソフトが多く,しかも同じ用途の物が沢山あった。ソフトが多いのは,色々な用途に使えてとても重宝するのだが,ありすぎるとCPUやメモリーを圧迫して,パソコンのパフォーマンスを落としてしまう。それで,必要なものだけを残して,残りを削除していった。すると,幾分ファン音も小さくなった。その後,新しく書画カメラを購入してもらったのでその設定をしたり,ペンタブレットの設定をしたりして,使いやすい様に色々設定していった。こうして,パソコンと関わっていくと,「新しいパソコンに早く変えてもらわないと・・・。」と感じた印象も,「このパソコンを大事に使っていこう。」という思いに変わってきた。これからは,メモリーが2Gなので,メモリー設定をしていったり,バッテリーを新しいものに交換していったりして,長く使っていきたいと思っている。この前の風呂もそうだったが,古くても使い様によっては快適に使い続けることができると思うことだった。また,最近は,みんなが捨ててしまったものでも,使っていこうという考えが芽生え始めている。