2013年11月2日土曜日
時間は,新たな管理者!
時間を知る手だてとして,古くは,日時計,その後,砂時計や水時計が登場する。近代では,ゼンマイ時計,クオーツ,さらには電子時計と時計は進歩してきた。精度が高まることは,時間を知るにはとてもいいことである。しかし,精度が高まるにつれて,われわれは気づかないうちに,人を管理する道具として利用するようになった。日時計の時代,人々の生活は,太陽の動きによって生活していた。活動は,主に日中に行うのが主であった。時を知らせるのは太陽であり,その動きによって漠然的に時を知ることができた。しかし,電気の発明によって,夜に活動できるようになる。以前は,寝ていた時間帯にも,仕事をする人々が出現する。また,その時代に,時計も出始める。以前は,漠然的に捉えられていたものが,数値として取り入れられるようになった。このころから,時が管理的な意味合いを持つようになる。出勤・退社時間に始まり,レポートの提出,製品の組み立て等,いろいろなものが時を手がかりに,計画されるようになった。将来を見通すことができるということで,人々は積極的に時計を活用するようになった。現在の豊かな生活は,時を管理することで支えらおり,私たちはその恩恵を享受して生活している。しかし,逆に,時によって人が管理される時代にもなっている。時間によって,人は拘束され,時間によって動かされている。昔に比べて,明らかに仕事に拘束される時間が増加する傾向にある。新幹線は,今,秒単位で管理されているらしい。1分遅れると,上司から注意されるらしい。しかし,このことがスピード超過をもたらし,列車事故を引き起こす要因にもなる。数年前に起きた尼崎線の事故も,このことが原因だった。1分遅れたところで,私たちの生活にはほとんど影響しない。しかし,それを重視するあまり人身に関わる事故が起きてしまう。これでは,本末転倒だと思う。時間を管理することは,ある程度までは有効である。しかし,行き過ぎた時間の管理は,人を拘束し,人として豊かに生きることまでも奪ってしまうことに気づかないといけない。
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