2016年11月27日日曜日

Twitterなるものをしてみた!

長年,パソコンを趣味としてきたが,未だにTwitterの使い方がよく分からない。機械には,自信があるつもりだったが,その自信もどこへやら・・・。登録したのは,5~6年前で,未だに自分が何を投稿したのさえも表示することができない。そこで,これを機会にTwitterにも少し慣れようということで,挑戦することにした。解決の糸口が見えたのは,息子の一言だった。「返信は,その投稿をした人への返事,リツイートは,その人の投稿を自分の投稿に載せることだよ。例えば,YouTubeの投稿をフェイスブックに載せるのと同じ事だよ。」これを聞いて,問題が少し解決した感じがした。Twitterには,ツイート,返信,リツイート,引用リツイートなど,専門用語がいくつか存在する。これが,使い方を惑わす元凶だった。その構造は,フェイスブック酷似している。Twitterには,全ての投稿が集まる公的ページと個人のページが存在する。公的ページには,自分がフォロー(Facebookで言うところの友人)した人の投稿が表示されている。投稿に返信したい場合は,返信を選び,感想を書くことになる。また,その人のページを自分自身のページに載せたいときは,リツイートを選べばよい。引用ツイートについては,まだあまり分かっていないのであるが,投稿をそのまま自分のページに載せるのではなく,そこに一言言葉を添えるときに使うものだと思う(たぶん,合っていると思うが・・・)。とにかく,ここにきてTwitterの使い方が少しずつ分かってきた。Twitterには,芸能人の投稿が多いので,気に入った芸能人がいたらフォローしてみてはどうだろう。

フェイスブックあるある!

フェイスブックで友達が増えると,それだけ投稿数が増えてくる。表示されるのは,投稿された物だけでなく,いいねを押した物や他のサイトから関連づけられた物も表示される。友人が伝えてくれるものだけに大事にしたい物ではあるが,中には個人的にあまり興味のないものも含まれている。また,必要な投稿を見る為に,サイトをずっと見なければならないことにもなる。それで,私なりに,フェイスブックルールという物を考えてみた。投稿やいいね,他のサイトからの関連づけも含めて,1~2/1日程にする。多くても3~4程度までである。それ以上投稿すると,その人の投稿が増えすぎて,サイトを占領してしまうからである。こんなことを書くと,なんだかやな人のような感じがして心苦しいが,フェイスブックを快適に使用する為には必要なのではないかと感じる。さて,肝心な私の投稿も,日に5個以上投稿したことが度々ある。人に言うからには,まずは自分から実行しなければと反省する今日この頃である。尚,禁断ではあるが,友達からの投稿を制限する方法を載せてみた。できれば,この方法をとらないよう,お互いに気を付けていきたいと思う。

友達の投稿を制限する方法

2016年11月24日木曜日

そのスポンジ,まだ使えます。

皆さんは,食器洗い用のスポンジがヌメヌメするのを経験したことがないだろうか。こうなると,買い換えと思うのであるが,ある方法で解決できる場合がある。それは,石けんを使う方法だ。そんなのキッチンのクレンザーを使えばいいのではと思うかもしれないが,私の経験上クレンザーではあまり効果が無い。では,石けんはというと,これが以外にいい。もちろん,元通りという訳にはいかないが,ある程度はヌメヌメを取ることができる。なぜこの方法にたどり着いたのかというと,以前,換気扇を掃除した際に,黄色いプラスチックのたわしを使用した。劇落ちくんといわれているそれだ。当然,たわしにはびっしりと油が付着した。それで,油を落とすためにクレンザーを使った。しかし,油はほとんど取れなかった。それで,ダメ元と思い,石けんを使用した。すると,なんと油が落ちたのである。ということは,これをスポンジに使うといいのではという考えが浮かんだ。それで,家にヌメヌメしたスポンジがあったので,試しにやってみた。すると,あら不思議。それまで油っぽかったスポンジがよくなったのである。そりゃー嘘だと思うあなた,試しに一度やってみてはどうだろう・・・。

2016年11月5日土曜日

人は,数に弱い!

人は,数に弱い。身近な例としては,売り上げ,テストの点数,年齢等,etc。ただの数の羅列であるにもかかわらず,人々はその数値を聞いて一喜一憂してしまう。かく言う,私も49才となってしまった(だから,何なのと言われると何も言えないのであるが・・・)。言葉は,漠然としていて,大まかなニュアンスでしか捉えられない。それに比べて,数値は絶対的な物であり,変えられない事実となる。と考えると,人を説得するとき,話の折々に数を多用すると効果的なのではないかと考えたりする。しかし,この数字も操作することができることを知る必要がある。例えば,数値を利用してグラフ化したとする。縦軸の数値が10だったものを1にすると,グラフの傾きはいきなり変化する。逆もまたしかりである。つまり,あまり変化がないものも,縦軸の数値を変えることによって,いきなり変化したように捉えさせることができる。最近,国会中継でも,図やグラフを多用して,「なぜ,こうした結果になったのか?」と追求する場面を見かけるが,実はその図やグラフには,予め仕組まれている部分があることを知る必要がある。また,縦軸をいじらなくても,時を操作する方法もある。変化の激しい時期を指定することで,あえて変化したように見せかける手法である。数字は,絶対的な物で,説得力のあるものであるが,その性質を利用して事実をねじ曲げられて伝えられていることを知る必要があるのではないかと思う。

2016年11月3日木曜日

ビッグデータについて!

ビックデータの解析,昨今そんな言葉が行き交っている。ビックデータとは,様々な人の生活傾向を分析して,その傾向を明らかにすることである。コンピュータが進化し,多くのデータを処理できるようになり,その解析ができるようになった。例えば,コンビニでは,どのような商品が売れるかを解析することで,売り上げを伸ばそうとしている。また,企業でも,このビックデータを生かし,利益を上げようとしている。しかし,人の行動は,不規則である。例えば,Googleの検索を例に挙げると,だれかがある物の検索をしたとしよう。それは,その人個人の興味に基づいて検索したものであるが,あまり重要ではなかったものとする。しかし,たまたま他の人も同じ検索をすると,そのホームページが検索欄の上位に来ることになる。そうなると,検索の上位にあるということで,他の人もそのページを検索することになる。そして,検索するたびに,そのページが上位となる。たまたま,検索した物が重なったために,あまり重要でないデータが重要なものとして定着してしまうのである。つまり,検索歴の数としては重要であるが,情報そのものの価値は価値のないものが重要として扱われることになる。ビックデータという言葉が一人歩きして,大切な物の本質が見えなくなってしまっているのではないかと,いささかの危惧を感じる今日この頃である。