2019年10月19日土曜日

粉瘤手術 02

そして,いよいよ手術の日がやってきた。前回の倍以上の大きさだったので,どれだけ痛むか心配だった。13時の予約だったが,検診が長引いてしまい,結局14時半に手術室に入った。手術室は,テレビで見たそれであった。初めは,「まさに手術室ですね。」なんて言う余裕もあったが,手術台にのせられると緊張感がだんだんと増してきた。しばらくすると,執刀医がやってきて,これから手術をすることを伝えられた。始めに,痛みがないように麻酔が何本か打たれた。しかし,注射針が大きいせいか,これがすこぶる痛かった。それが6~7本ぐらい打たれた。麻酔を打たびに,痛みは少なくなってきた。それから,いよいよメスを使った手術が始まった。腹のところには,手術の様子が見えないように布がかけられていたのだが,皮膚を通してそのようすがなんとなく伝わってきた。また,見えないことが想像力を高めてしまい,恐怖感を増大させた。粉瘤は,6~7cmほどあったので,簡単には取れなかった。途中,執刀医が,「痛いときは言ってください。」と声をかけてくれたのだが,恥ずかしさもあり最初はがまんしていた。そのうち,深い部分に達してきた。すると,痛みが断続的にやってきた。それに耐えきれず,痛いと声を出した。すると,その部分に麻酔が打たれた。しかし,切除するところが別の部分にいくと,また痛みが増し,その度に麻酔を打たれた。そうしたことが何度となく繰り返された。ついには,痛みに耐えきれず涙まで出てきた。そして,麻酔は何本うたれたか分からないくらいになった。執刀医も粉瘤を取ろうと格闘しているようだった。そうした作業を繰り返しているうちに,医師と自分との間に,運命共同体のようなものを感じた。医師は患者を助けたい,私はこの医師を信じなければならない,そうした意思の糸のようなものが伝わってきた。1時間ほどすると,粉瘤を切除することができた。しかし,今度は切除したところの縫合が待っていた。切除した部分が広かったために,これがまた痛かった。ここでも耐えきれず,麻酔を何本も打たれた。最初,数滴だった涙も滝のようにあふれて,ついには放心状態になってしまった。結局,1時間30分ほどして手術は終わった。手術は,もうこりごりだと思ったと同時に,これでもう大丈夫だという安堵感があった。その後,両親が来ていたのでロビーで面会した。私は,なんとか平静を装ったが,涙が流れていたので,そうではないということを察したと思う。そして,病院で1時間ほど休むと,帰宅してもいいと言うことだったので帰宅することにした。

粉瘤手術 01

9月になってきてから,左脇腹にある粉瘤が痛み出した。粉瘤とは,なんらかの理由で体内に袋ができ,その中に垢や体内分泌物が溜まり,その部分が膨らむ病気である。実は,30代の時も右脇腹に粉瘤ができた。それは,1~2cmほどの小さな物だった。粉瘤を見た医者が,手術で取れますよと軽い感じで言ってきた。私も違和感があったので,取ってほしいと二つ返事で答えた。そして,手術の日がやってきた。最初は,楽な気持ちで病院に入ったのであるが,手術台の上に乗せられると,変な緊張感が湧いてきた。それから,手術が始まった。粉瘤自体は小さかったにもかかわらず,部分麻酔で行ったためすこぶる痛かった。その時,この粉瘤に対するトラウマが生まれた。その経験が,今回の手術を悪化させた。違和感はあるものの,痛みはなかったので,そのまま放置していた。すると,だんだん大きくなり,6~7cmほどになった。違和感が膨らむとともに,痛みも加わった。そのせいか分からないが,熱も出てきた。これは,手術しなければならないなと思い,徳州会病院に行った。その日は休日だったこともあり,研修医らしい人が診察をした。「粉瘤ですね。水曜日に取るように外科に予約を入れておきましょう。」と言って,その日はそれで帰宅した。しかし,痛みは相変わらずで,熱も出たり出なかったりした。それから数日,痛みと熱を我慢しながら仕事に行った。そして,水曜日を迎えた。今日でこの痛みともさよならできると思い,診察室に入った。担当医(執刀医)は,私の粉瘤を見て,「これは大きすぎるので,今日は手術できないよ。後日,また日を改めて手術しよう。」と言った。その日,手術をすると言って仕事を休んできた手前,私もそのままでは引き下がれなかった。また,痛みもピークに達していた。何度か,担当医に,「今日,できませんか。」とお願いしたが,大きさが大きさだけに,それはできないとのことだった。また,申し訳なさそうに断っている姿が伝わってきて,結局土曜日に手術をすることを確認して,帰宅することにした。しかし,痛みはますます強くなり,熱も断続的に上がったり下がったりした。続く・・・