戦艦大和に関する番組を見た。大和に乗っていた乗組員の話を元に,番組が制作されていた。以前は,この時期になると,総合テレビで放映されていたのだが,なぜだかBS3だった。オリンピックが開かれていること,戦争に関する番組は敬遠したいということで,こうなったのかもしれない。とにかく,こうした所からも,戦争が少しずつ風化しつつあるなと感じた。大和の番組を見ていたら,父が以前話してくれた戦争の話が,脳裏に浮かんだ。私の実家は,徳之島であるが,徳之島には戦時中,浅間飛行場という飛行場があった。父の話では,この浅間飛行場にも,ゼロ戦がとんできたという。一度しか話を聞いたことがなく,もう何年も前のことなので,記憶が定かではないが,その浅間飛行場には,鹿児島の知覧基地から飛んだ飛行機が,調子が悪くなったり,燃料補給のために,立ち寄ったと話をしていた。浅間には,現在飛行場があるが,それに沿うように,一直線の道路が走っている。平地がほとんどない島なので,ほとんどの道路が曲がっているのだが,ここの道路だけが直線である。不思議だと思ったら,そんないきさつがあったのだ。知覧特攻基地のことは,よくテレビでも取り上げられるが,ここ浅間の基地に関しては,取り上げられたことはほどんどない。それだけ,基地としては,重要ではなかったのだろう。私が,高校時代,友達にこの話をしたら,友達は嘘だろうと笑って信じてくれなかった。地元の人間も,基地があったこと自体知らないのである(今から,30年程も前のことである)。もしかすると,歴史はこんな風にして,風化していくのかもしれないと,テレビを見ながらそう思った。
浅間飛行場に関する資料
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